2023年10月4日参拝。
奈良県平群町にある石床(いわとこ)神社旧社地。
御神体は巨大な磐座。
近づくにつれ湿り気がすごく、鳥居の内はこわいくらいの気に満ちていて長居できず、すぐに退出しました。
少し離れたところで祓詞、清祓、神言、龍神祝詞を奏上しておいとま致しました。
数日考えていて、この磐座は女性そのものだ、と気がつきました。
しばらくしてこちらの御宝は、嵐雪さんと神々様の御力により、本来の故地へお戻りになられました。
本来あるべき場所から移動を余儀なくされ、その後の肥沃な三日月地帯は麦の栽培(農耕)が始まり、犂(すき)により土壌を引っ掻き回され続けた結果、草木の生えない砂漠地帯へと姿を変えました。
耕すことは土壌の中の生物の世界を分断し破壊します。
土壌生物の住まなくなった土は、死んだ土となります。
古代文明が衰退終焉したのは農耕(耕耘)による土の劣化によります。
この数日、以前読んだ桐村里紗さんの本や、新たに買った土壌生態学者の金子信博さんのミミズの本などを繰り返しつぶさに読み、辿り着いた結論があります。
「犂(すき)も楔(くさび)だった」
肥沃な土壌を作り上げている土の中の生きものたちは、ほんのわずか耕しただけで損なわれてしまいます。
土の中の多様な生物の働きによって花や野菜や果樹が茂り、そこへ昆虫や鳥やクモやさまざまな生きものがまた集まって来ます。
人間はせっせと耕すことで土を劣化させ、たくさんの土壌生物を損ない、引いてはそこへ集まっていた多様な生物の行き場を失わせ、たくさんの種を絶滅させました。
人間も自然界の一部ですが、自然界と繋がる接点である土を自ら損ない、自分たち人間と自然界を分断し遠ざけています。
人間と自然界に楔(犂)を打ち込んで分断させる。
土から離れた人間は、自然界から浮いた存在になり、暴走し、自滅していくしかなくなる。
・・・これもまた邪神の企みだったのかもしれません。
結果的に見ると、そうとしか思えないのです。
『身土不二』、という言葉はまさにそのことを表しているのだとようやくわかりました。
でも絶望はありません。
耕耘(鋤く)ことで「不自然」になった土や生態系ですが、
「不耕起・草生(保全農法)」や「協生農法」などの方法で、土壌生態系を取り戻し、維持し、そこに集まってくる多様な生きものの織り成す「自然」を再生させることが可能なのです。
しかも労力も従来の慣行農法に比べてとても短くて楽なのです。
(写真・上の二冊の本に書かれています)
草木の生えない砂漠でも、耕作放棄地でも、可能です。
日本ではとても遅れていますが、世界的な趨勢になっています。
決して耕さず土と繋がることが、土壌の回復となり、生物多様性の回復となり、自然の再生、人間の再生へ繋がっていきます。
これからの時代は「不自然」から「自然」へ。
英語で人間を意味するhumanは、ラテン語で土壌を意味するhumusに由来しています。