おととい友人と井原鉄道に乗って、「早雲の里荏原(えばら)」へ行って来ました。

駅前にある北条早雲様の像。

去年も一度この駅でおり、歩いて30分のところにある「縣主(あがたぬし)神社」へ参拝して来ました。

小田川の龍神様をお祀りしている神社です。

<(_ _)>

 

去年は無かった幟旗がありました。

北条氏五代の大河ドラマ実現を!と書かれていました。

 

北条氏五代とは、

初代早雲・二代氏綱・三代氏康・四代氏政・五代氏直で

 

キャッチフレーズ?の【戦国の魁(さきがけ)】とは

名だたる戦国武将の先駆者的な方だったからなのですね。

 

 

岡山県井原市荏原は、北条早雲様が生まれてから32歳まで過ごされたところです。

 

 

上の写真は帰りに撮ったもので晴れて青空になっていますが、

着いた時は(朝10時過ぎ)、小雨が降っていました。

 

あちこちに見どころがあるのでどこへ行くか迷いましたが、お昼前に駅の近くでランチの予約をしていたこととの兼ね合いで、駅から歩いて20分ほどのところにある“大岩刻(だいがんこく)”を目指すことにしました。

 

のどかな田畑の風景の中を、山に向かってゆるやかにのぼって行きます。

空気がきれいでおいしいです。

しばらく行くと右手の山すそに案内板がありました。

“大岩刻”とは、

伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲様)の没後二百回忌を記念して(1715年)、戒名を刻んだ供養碑のことだそうです。

 

山道を少し上がって行きます。

 

上方の磐に小さな石仏が見えました。

 

そばまで行くことができました。

 

 

さきほどの案内板によると、

石仏は“道了尊”とのことで、安政6年(1859)に安置されたもの。

友人に「道了尊、てなに?」と尋ねられたのですが、

聴いたことがなく、わからなかったので「道ひらきの神様とか道祖神のような神様のことかなあ」と答えました。

(^^;)

 

 

ここから上を仰ぐとどうやら“大岩刻”らしい大岩が見えました。

 

さらに急な小径をのぼると、磐座のような迫力ある大岩の真ん中に

 

 

戒名が刻んでありました。

 

このあたりの空気は雨で清められたのもあってか、とても清々しく清浄でした。

大岩の前にしばらく佇んでいたのですが、天狗(様)がどこからか見ていらっしゃるような気配がしていました。

 

天狗の気配、は初めて感じました。

 

先程の案内板のところまで戻り、写真を撮りました。

 

この記事を書くときに読んでみると

“道了尊”とは、

~道了薩埵(さった)・道了権現とも呼ばれる、神奈川県南足柄市にある曹洞宗最乗寺の守護神で、開山の了庵慧明(えみょう)に従っていた妙覚道了が身を変じた。

霊験あらたかとして広く関東地方を中心に信仰されており、岡山県西端に位置する当地での道了尊石仏は珍しい。~

と説明されていました。

 

 

「最乗寺・・・・なんだか少し記憶に、ある・・」

 

ここで嵐雪さんのブログを検索させていただくと、、、

 

最乗寺の道了尊=大天狗様、と書かれてあり、三代氏康様がいっとき眷属になられていたところでした。

(;^ω^)ぁぁぁ

 

当時記事を拝読した際、最乗寺の大天狗様の元で北条氏康様が眷属になられていらっしゃるの?とすこし引っかかったのを思い出しました。

 

それが、ここにきてのまさかの伏線回収とは!!

(´゚д゚`)

 

すごいすごいすごすぎるぅぅぅ。。。

(@_@)

 

 

 

荏原は矢掛(やかげ)のすぐ西になるところ。

矢掛はふるい妙なにおいが町じゅうに満ちていましたが、荏原は駅のそばに大きめな工場もいくつかあるのに本当に空気がきれいでピンと張りつめていて、品のあるたたずまいの町でした。

 

 

新鮮な魚介類を使ったお店のランチもとても美味しかったです。

(*´ω`)

 

 

ありがとうございました。
(*´▽`*)