宮司さんの描かれるアートのような迫力ある御朱印(目の前で描かれ、その人に合わせて一枚ずつ全部違うそうです)が大人気、ということで最近知った神社に昨日行ってみました。

 

岡山県の南西部、井原市にあります。

第三セクターの井原鉄道に乗り、「早雲の里 荏原(えばら)」駅で下車。

駅の北側には早雲様のアニメ調の親しみやすい石像と紹介の石碑がありました。

眼力はすごく、まっすぐな眼差しでとても良い像でした。

・・

「1432年 備中国高越城主伊勢新左衛門盛定の子として生まれ新九郎と名乗った。

(中略)

33歳で京に上り、伊勢貞道の養子となり、足利義視に仕え応仁の乱で伊勢に下る。・・」

 

 

石碑には『戦国の魁』として紹介されていて、“北条五代を大河ドラマに”という幟が付近にはためいていました。

 

 

沿線には「吉備真備」駅などもあります。

 

 

駅の案内板。

駅の北側に早雲様関連の名所旧跡が点在しています。

これから行く神社はこの看板の下部にある「川」のさらに下へと南進していきます。

 

その神社とは、「縣主(あがたぬし)神社」です。

その謂れはウイキペディアにも載っていました。

 

 

↑『日本書紀』仁徳天皇記に書かれており、

 

この地方を守護していた鴨別命が人々を守るために退治し、縣守(あがたもり)として神社に祀られたのだそうです。

 

 

・・・これって、、人間を神として祀って呪縛するパターンなのでは、、

(;^ω^)

 

しかも退治されたミズチも竜神様として同じ神社の境内に祀ってあり、秋祭の御神幸でミズチの潜んでいたという淵の近くで鎮魂の祈りをしているそう。

 

・・・

 

御朱印が目当てではなく、鴨別命が気になったのと、神社の雰囲気を感じるためと、どんな宮司さんなのかしらと、やって来ました。

 

でもいま考えてもどうして足を運んでしまったのか、以前の私なら絶対行っていないのに。。

 

家を出る前に神棚の前で、役行者様にガードをお願い申し上げました。

 

・・・

 

荏原駅から徒歩で約25分。

まだまだかしらと思っていたら急に参道の立て看板が見えてほっとしました。

この丘の上にあるようです。

 

どうやら車道のようです。

 

急な坂道を上がると、右手はなぜか明るい広場です。

奥に大きな石碑があり、目を凝らすと「忠魂碑」でした。

 

さて、左手に目指す神社の社殿がありました。

右端が本殿。

真ん中がミズチを祀る神社。

左が素戔嗚神社・崇道神社(人形供養承り中、と書いた紙と木箱あり)。

さらに左端に天満神社。

(;^ω^)

 

拝殿の前を通った先には、荒涼とした厳島神社。

(;゚Д゚)

 

 

厳島神社の左手には水分神社。

 

本殿を右手から見たところです。

 

本殿の背後と、むこうにミズチを祀る社。

本殿は、ガチガチに固まっている感じです。

 

 

虬(ミズチ)神社。

左に青い旗があります。

でも右には稲荷大明神の赤い旗があり、立札には八幡神社。

(◎_◎;)

 

虬の由来の立札。

 

中には木彫りの虬が納められています。

 

真ん中はさきほどの天満神社。

左端は琴平宮。

 

宮司さんは不在の札があり、社務所も閉まっていました。

猫が一匹いるだけで、ほかには人っ子一人いませんでした。

 

さいごに拝殿で御賽銭を入れてごあいさつをしました。

 

拝殿の前には石段がありました。

こちらが表参道だったのですね。

石段をおりていきました。

 

鳥居を出て一礼をして写そうとすると、なんと鳥居にくだんのミズチが巻き付けてありました。

こちらから来ていたら、登っていないと思います。。

 

いまこの写真を見ていて「くわばらくわばら」と唱えていました。

 

すぐに元来た道に出たので、また駅まで歩き、電車に乗って無事に帰宅しました。

役行者様、ありがとうございました。

<(_ _)>

 

 

去年の暮れに、京都御所で御挨拶と祝詞を奏上させていただきました。

今度は早雲様のゆかりの地を巡りにまいりたいと思います。

(*´ω`*)