ナースになってもう10年目らしい
そんな時間はたったのかと 後輩指導をするたびに思いだしてみて
なんでナースになったのか
これは本当に難しいギモンで 自分のなかでも未だに答えられない
コレからは以下長文
普通に高校でて 幸運にも受かった短大はお嬢学校
この学校に受からなかったら おそらく留年していたワタス
こんな短大でも受かったから あっけなく卒業にハンコくれた教務主任よ サンキュ
みんなと一緒に「ごきげんよう」って言ってたわ
20歳になって 就職氷河期とか言われた時期だったこともあって
ワタスのような エセお嬢は 就職なんてない
それでも最後に決まりかけた会社は マイファザーの関係している仕事であったために
「オレのテリトリーに入るな」とあっけなく 就職浪人
2社もあったのに 全部マイファザーのテリトリー
そんな頃に 親友とマイ弟に
「コレからの時代は オンナも手に職だよ」となぜか説得された
親友は美容師でその道のプロになって 活躍しているけど
マイ弟は 企業戦士になっている 現実
なんて無責任な発言をしてくれた マイ弟よ
んで 一年浪人して 受験用の予備校に通った
18歳のヤングさんたちと 肩を並べて 青春ぽく 過ごしたなぁ
この時の 出会いは 未だに続いているし
かけがえのない人たちとの出会いであったわ
んで なんで看護学校かは 本当にわからない
でも 看護を受ける方向で 受験準備をしてたわ
ほかにも テキスタイルとか 伝統工芸とか 興味はあったけど やっぱ看護だった
マイマザーは看護に行くことに とことん嫌悪感を示して
味方になってくれたのは 無責任な マイファザーと マイ弟だけだった
田舎のバーちゃんにも 反対されたのは すっごく覚えている
看護学校には無事に受かった
国立の養成所で そこは まるで昭和初期の軍隊のような学校だった
とにかくおこられる
とにかくおこられる
自分の学校の教務が一番怖い存在で
青春のかけらもない 本当に隔離された 異世界空間だった
3年生の時に 1年生のタイボウ式で大号泣した
自分が1年でこの式を迎えてから ここまでくるのに 本当に辛かったことを思い出して
友人と二人 誰よりも泣いた
もうあんな思いはしたくないと
当事者の1年生より大号泣して 泣きまくった
そうしたら 教務に絶句された
「感動はないのか」と聞かれて「ない」と言い切った
卒業式の日に ふと思ったのは
未だになんで看護を選んだか答えられないけど
そんなにやりたくないことなら
とっくに退学してもおかしくないような環境にいたのに
耐え抜けたってことは 看護したい自分がどっかにいるんだろうということだった
無事に就職は決まって 総合病院の脳外科には配属になった
この総合病院のなかでも 一番の恐ろしい病棟だといわれた脳外科
先輩が怖いので有名だったらしい
ここで初めて 軍隊で養成されたことに感謝した
確かに先輩は怖かった
でもそれは
新卒はつかえないからであって、ある程度業務ができるようになると
そんなに怖くはなかった
でも パーソナリティを病んでいる先輩は本当に怖かった
看護に入って出会えた友人は かけがいのないものとなっている
学生 社会人となっても 一番の友達だ
なぜか4年目で 総合病院を辞めた
仕事も楽しくて たまらかなかったのに
なぜか 辞めた
一言「大学にいく」と宣言して 辞めた
看護は辞めようとおもっていた 一度距離を置いてみたかった
多分好きなんだけど よくわからなくなっていたのだとおもう
そのあと もっとでっかい総合病院の外来で昼働いて 夜は大学に通った
3年間でそこの外来で関わったのは
皮膚科 形成外科 泌尿器科 心臓外科 心臓内科 脳外科 神経内科 そして化学療法室
この経験は とても大きかった
浅く広くいろいろな知識を経験できて 勉強になった
で 大学では 福祉を勉強した
一応 社会福祉士も取った
でも福祉に興味はもてなかった もっと看護がしたいと思って終わった
根っからの 看護馬鹿になっていたことだけは この時わかった
そして今に至る
あんだけ怖かった おこることを 後輩にしているワタス
その行為の向こうには 自分の10年間があるんだろう
で 未だになんでナースになったのか わからない
コレから先も きっとわからない
それでいいのかもしれないと思いながら
ワタスは今日もナースとして 生きるのだ
そんな時間はたったのかと 後輩指導をするたびに思いだしてみて
なんでナースになったのか
これは本当に難しいギモンで 自分のなかでも未だに答えられない
コレからは以下長文
普通に高校でて 幸運にも受かった短大はお嬢学校
この学校に受からなかったら おそらく留年していたワタス
こんな短大でも受かったから あっけなく卒業にハンコくれた教務主任よ サンキュ
みんなと一緒に「ごきげんよう」って言ってたわ
20歳になって 就職氷河期とか言われた時期だったこともあって
ワタスのような エセお嬢は 就職なんてない
それでも最後に決まりかけた会社は マイファザーの関係している仕事であったために
「オレのテリトリーに入るな」とあっけなく 就職浪人
2社もあったのに 全部マイファザーのテリトリー
そんな頃に 親友とマイ弟に
「コレからの時代は オンナも手に職だよ」となぜか説得された
親友は美容師でその道のプロになって 活躍しているけど
マイ弟は 企業戦士になっている 現実
なんて無責任な発言をしてくれた マイ弟よ
んで 一年浪人して 受験用の予備校に通った
18歳のヤングさんたちと 肩を並べて 青春ぽく 過ごしたなぁ
この時の 出会いは 未だに続いているし
かけがえのない人たちとの出会いであったわ
んで なんで看護学校かは 本当にわからない
でも 看護を受ける方向で 受験準備をしてたわ
ほかにも テキスタイルとか 伝統工芸とか 興味はあったけど やっぱ看護だった
マイマザーは看護に行くことに とことん嫌悪感を示して
味方になってくれたのは 無責任な マイファザーと マイ弟だけだった
田舎のバーちゃんにも 反対されたのは すっごく覚えている
看護学校には無事に受かった
国立の養成所で そこは まるで昭和初期の軍隊のような学校だった
とにかくおこられる
とにかくおこられる
自分の学校の教務が一番怖い存在で
青春のかけらもない 本当に隔離された 異世界空間だった
3年生の時に 1年生のタイボウ式で大号泣した
自分が1年でこの式を迎えてから ここまでくるのに 本当に辛かったことを思い出して
友人と二人 誰よりも泣いた
もうあんな思いはしたくないと
当事者の1年生より大号泣して 泣きまくった
そうしたら 教務に絶句された
「感動はないのか」と聞かれて「ない」と言い切った
卒業式の日に ふと思ったのは
未だになんで看護を選んだか答えられないけど
そんなにやりたくないことなら
とっくに退学してもおかしくないような環境にいたのに
耐え抜けたってことは 看護したい自分がどっかにいるんだろうということだった
無事に就職は決まって 総合病院の脳外科には配属になった
この総合病院のなかでも 一番の恐ろしい病棟だといわれた脳外科
先輩が怖いので有名だったらしい
ここで初めて 軍隊で養成されたことに感謝した
確かに先輩は怖かった
でもそれは
新卒はつかえないからであって、ある程度業務ができるようになると
そんなに怖くはなかった
でも パーソナリティを病んでいる先輩は本当に怖かった
看護に入って出会えた友人は かけがいのないものとなっている
学生 社会人となっても 一番の友達だ
なぜか4年目で 総合病院を辞めた
仕事も楽しくて たまらかなかったのに
なぜか 辞めた
一言「大学にいく」と宣言して 辞めた
看護は辞めようとおもっていた 一度距離を置いてみたかった
多分好きなんだけど よくわからなくなっていたのだとおもう
そのあと もっとでっかい総合病院の外来で昼働いて 夜は大学に通った
3年間でそこの外来で関わったのは
皮膚科 形成外科 泌尿器科 心臓外科 心臓内科 脳外科 神経内科 そして化学療法室
この経験は とても大きかった
浅く広くいろいろな知識を経験できて 勉強になった
で 大学では 福祉を勉強した
一応 社会福祉士も取った
でも福祉に興味はもてなかった もっと看護がしたいと思って終わった
根っからの 看護馬鹿になっていたことだけは この時わかった
そして今に至る
あんだけ怖かった おこることを 後輩にしているワタス
その行為の向こうには 自分の10年間があるんだろう
で 未だになんでナースになったのか わからない
コレから先も きっとわからない
それでいいのかもしれないと思いながら
ワタスは今日もナースとして 生きるのだ