一時期子猫に遭遇する確率がものすごく高い時がありました。いったん外に出るともれなく子猫の鳴き声に気がついちゃうとか、そのものを見ちゃうとか。しかも元気そうな子猫ばっかりじゃなくてこれ、ほっといたらたぶん3日で死んじゃうよね・・っていうのとか。


うちの猫二匹ともそういう出会いでした。ピコちゃんはお母さん猫と一緒にいたけれど、風邪をひいていて目がぐちゃぐちゃで開かず、鼻水で鼻も口の周りもベタベタ。その状態ではおっぱいも飲みにくかったのか、何匹かいた兄弟たちの中でも小さくて。そのまま通り過ぎることができず、お母さん猫に「ごめん、この子もらっていくね。大事にするからね」と言って連れて帰ってきました。


さいころはお墓の草むらの中から声がするなあと思っていたらヨロヨロと一匹で出てきました。周りを見てもお母さんらしき猫の姿もなく、捨てられたのだと思います。連れて帰ってきてとりあえずお風呂に入れたら、小さな体にノミがびっしり付いて貧血を起こしていました。お腹も壊していました。空腹でその辺りにあったものをなにか口に入れて飢えをしのいでいたのかもしれません。


そんな二匹との出会いの後も、なぜか次々に猫を見つけてしまって、里親探しに奔走していたこともありました。でもそれもたいへんで、そのうち子猫に遭遇しそうな季節にそういう場所を通るのをやめました。


うちに来た子達ももらわれていった子達も、それぞれに健康になり歳をとりました。あと何年一緒にいられるのかなあということも考えるようになってきました。


先日うちの真下のおうちも里親さんの一人で、「トラ」と名付けられたにゃんが元気にしてるかと尋ねた時に、里親さんが言った言葉にちょっとショックを受けました。その方はいま70代前半だと思うのですが、もし自分がトラちゃんより先に死ぬようなことがあればトラを処分して欲しい、と言われたのです。


「処分」て・・どういうこと?言葉にしてしまうとそういうことなんですけど、とてもショッキングな言葉でした。確かに現実的に考えてトラちゃんももう13歳の高齢猫。これから先何年かは飼い主さんと一緒に暮らせたとして、さらに年老いた時に飼い主さんに何か不測の事態でも起きれば自分ひとりでは生きてはいけない存在です。


「処分」という言葉はすごく辛いけれど、そういう状況で飼い主亡きあと命をつなげなかった動物たちはきっと少なくないだろうな。飼い主はそういう時のために、保護施設などで飼っていたペットが余生を全うできるように持参金を準備しておいたほうがいいのかもしれません。


ほんとうはそういうことまで考えて初めて動物を飼うっていうことを考えていいのだろうと思ったのでした。物言わぬとは言え、彼らを引き取ることを決めたとき「命」を預かったんですものね。

網戸越しに充電ちう




あったかいねえ