きのうはねえさんの月イチの外来診察日でした。先月顔が腫れてむくんでいるように思い、診察日の予約を早めてもらって検査してもらいましたが、異常なし。とりあえずホッとしました。ってか、ほんとに何か異常があったんなら検査結果なんかその日の夜までには出てるだろうからその時点で即ドクターから電話がかかってくるはずです。それもなかったのでほぼそんなこと忘れてましたが。
診察が終わったら病棟に上がって再発入院しているお友達の所へ行ってきました。ねえさんが入院中一番仲の良かった子なのでどちらも待ち焦がれた再会です。あんまり素敵な場所じゃないけどね。
その子のお母さんと話していて一番考えさせられたのは「共感」ということでした。いま水曜日にやっている「Dr.りんたろう」っていうドラマ、見てる方いますかね?精神科領域というのがテーマなので、ものすごいナイーブで難しいテーマを選んだなあと思いながら見ているんですが、ドラマの中で度々「共感」という言葉が出てきます。精神科、臨床心理を語る上で必ず出てくる言葉です。
きっと専門的な意味での「共感」にはいろんなマニュアル的なことが含まれているんだろうなと思うのですが、えてして教科書的な文言と実際の人間の間には大きな隔たりがあるようにいつも感じ。
例えば、先に出てきたお母さんと話していて気になったことというのはそこです。再発、というのは本当に頭を強く殴られたぐらいショックだと思います。これはわたしもまだ経験していないことで想像の域を出ないことですが、自分の子供がなんのくじ運か、ある日突然重病だと宣告され来年の命の保証すらない、という状況を経験しているので、ある程度はわかると思っています。
でもドクターも看護師さんも臨床心理士さんも、すべての必要とされる分野のスペシャリスト、それも小児がんを専門とするプロが揃っている病院で彼女はとても孤独を感じたというのです。誰もが遠巻きにして、腫れ物に触るようにしているか、もしくはショックのあまりカーテンを引いて引きこもっている親子に対して回診に来たドクターが「親子二人で難しい顔してにらめっこしててもしょうがないでしょ?出てきたら?」と言われた言葉に傷つき、そばに看護師さんも臨床心理士さんもいたのにフォローしてくれなかったことになお傷ついた、と。
たぶん自分から近づけばいいのかもしれない。みんなすでに顔見知りでまったく知らない同士ではないわけで。それに再発なんて彼ら、彼女たちにとっては日常茶飯事で、その度にひとりひとりに慰めの言葉をかけて回っているわけにもいかないのかも。看護をする上であまりに患者に感情移入してしまうより淡々と仕事として割り切ってやらなければ看護する側も疲れきってしまうのかもしてない。
そんなふうにわたしは今は考えることができます。でももし当事者だったらどうだろう。彼女たちにとっては治ると100%信じていたところに宣告された再発です。いろんなことを同時進行で考え、気持ちを整理していかなくてはなりません。
そういう時にはもしかしたら、医療者というプロにはできないことがあるのかもしれない。それが「友」という存在なのだとしたら、わたしは心理学的な「共感」という言葉で終わってしまうのではなくて彼女が今必要としている言葉や気持ちに寄り添ってあげることで共感を示したいと思ったのでした。
診察が終わったら病棟に上がって再発入院しているお友達の所へ行ってきました。ねえさんが入院中一番仲の良かった子なのでどちらも待ち焦がれた再会です。あんまり素敵な場所じゃないけどね。
その子のお母さんと話していて一番考えさせられたのは「共感」ということでした。いま水曜日にやっている「Dr.りんたろう」っていうドラマ、見てる方いますかね?精神科領域というのがテーマなので、ものすごいナイーブで難しいテーマを選んだなあと思いながら見ているんですが、ドラマの中で度々「共感」という言葉が出てきます。精神科、臨床心理を語る上で必ず出てくる言葉です。
きっと専門的な意味での「共感」にはいろんなマニュアル的なことが含まれているんだろうなと思うのですが、えてして教科書的な文言と実際の人間の間には大きな隔たりがあるようにいつも感じ。
例えば、先に出てきたお母さんと話していて気になったことというのはそこです。再発、というのは本当に頭を強く殴られたぐらいショックだと思います。これはわたしもまだ経験していないことで想像の域を出ないことですが、自分の子供がなんのくじ運か、ある日突然重病だと宣告され来年の命の保証すらない、という状況を経験しているので、ある程度はわかると思っています。
でもドクターも看護師さんも臨床心理士さんも、すべての必要とされる分野のスペシャリスト、それも小児がんを専門とするプロが揃っている病院で彼女はとても孤独を感じたというのです。誰もが遠巻きにして、腫れ物に触るようにしているか、もしくはショックのあまりカーテンを引いて引きこもっている親子に対して回診に来たドクターが「親子二人で難しい顔してにらめっこしててもしょうがないでしょ?出てきたら?」と言われた言葉に傷つき、そばに看護師さんも臨床心理士さんもいたのにフォローしてくれなかったことになお傷ついた、と。
たぶん自分から近づけばいいのかもしれない。みんなすでに顔見知りでまったく知らない同士ではないわけで。それに再発なんて彼ら、彼女たちにとっては日常茶飯事で、その度にひとりひとりに慰めの言葉をかけて回っているわけにもいかないのかも。看護をする上であまりに患者に感情移入してしまうより淡々と仕事として割り切ってやらなければ看護する側も疲れきってしまうのかもしてない。
そんなふうにわたしは今は考えることができます。でももし当事者だったらどうだろう。彼女たちにとっては治ると100%信じていたところに宣告された再発です。いろんなことを同時進行で考え、気持ちを整理していかなくてはなりません。
そういう時にはもしかしたら、医療者というプロにはできないことがあるのかもしれない。それが「友」という存在なのだとしたら、わたしは心理学的な「共感」という言葉で終わってしまうのではなくて彼女が今必要としている言葉や気持ちに寄り添ってあげることで共感を示したいと思ったのでした。