「かわいそうと言わないで」
先日Twitterで見かけたツイートに食物アレルギーで亡くなったお子さんの葬儀で親御さんが話されたという言葉がかなりRTされていたのを見たのでした。
「この子をかわいそうな子と言わないで欲しい」
障害を持つ人や病気の人についてなんらかのことが語られる場合によくこういうことを聞いたり読んだりすることがあります。わたし自身子供が病気になるまで、そんな時なんとなくわかったつもりで「そうか、かわいそうなんて言っちゃいけないんだ」と思ってました。
「かわいそうな人」=「不幸な人」
かわいそうに、という言葉をかけられて不愉快に思うときたぶんそのニュアンスを感じるからその言葉をかけられた人は自分はかわいそうな人じゃない、かわいそうという言葉をかけてくれるな、と思うのかもしれないです。
「かわいそうな人」=「不幸な人」ではない
確かにそうです。障害があるから、病気だから「不幸」ではない。健康で長生きした人も障害を持っている人も病気の人も同じように生きていれば楽しいと思うことも辛いと思うことも経験するものです。
でも、だからといってわざわざ健康な人が病気になろうとするでしょうか。何不自由ない体を持っている人がわざわざ車椅子での生活を選ぶでしょうか。
やはり病気であるより健康な方が、不自由であるより自由である方がいいのではないでしょうか。
そういう意味で不自由なく生活できる人がそうでない人達に対して「かわいそう」という心からの同情心を持ち、そういった人たちのことを忘れないでいることはとても大切なことではないかと思うのです。
今週、「おかあさんといっしょ」の公開録画は小児がんなどの重い病気を抱えた子供たちが入院している病院で行われたようです。そこにいる子供たちは頭にターバンを巻いていたりニット帽をかぶったりしています。抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまった子たちです。食べられずに高カロリー輸液の点滴をしている子供もいます。
生まれつき障害を持っていて車椅子に座っている子、酸素チューブを鼻から入れている子・・・どの子もみんな親にとってはかわいい我が子です。健康な体で生まれてきた子供と同じように親は愛情を持って育ててきました。そういう意味では彼らは不幸な子ではない。
でもそれらの子たちは感染症を予防するために同じ年頃の子供たちと同じように公園で走り回ったり幼稚園に行ったり学校に行って遠足や修学旅行に行ったり、といった健康なら当たり前のようにしていることができないのです。
そんな子供たちのことを「かわいそう」という同情心を持って想い、健康な他の子たちと同じことはできないかもしれないけど子供時代の楽しい思い出を一つでも多く作って欲しい、と今回のその企画を立ててくださった方がいることをうれしく思うのです。
「かわいそうと」という言葉を単なる言葉狩りのようにして片付けてしまわないでください。かわいそうに、という人間らしい同情心を持つことをやめないでください。それはいつか自分の前に
そういう人が現れたときになにかできることはないかと考えるきっかけになると思うのです。
先日Twitterで見かけたツイートに食物アレルギーで亡くなったお子さんの葬儀で親御さんが話されたという言葉がかなりRTされていたのを見たのでした。
「この子をかわいそうな子と言わないで欲しい」
障害を持つ人や病気の人についてなんらかのことが語られる場合によくこういうことを聞いたり読んだりすることがあります。わたし自身子供が病気になるまで、そんな時なんとなくわかったつもりで「そうか、かわいそうなんて言っちゃいけないんだ」と思ってました。
「かわいそうな人」=「不幸な人」
かわいそうに、という言葉をかけられて不愉快に思うときたぶんそのニュアンスを感じるからその言葉をかけられた人は自分はかわいそうな人じゃない、かわいそうという言葉をかけてくれるな、と思うのかもしれないです。
「かわいそうな人」=「不幸な人」ではない
確かにそうです。障害があるから、病気だから「不幸」ではない。健康で長生きした人も障害を持っている人も病気の人も同じように生きていれば楽しいと思うことも辛いと思うことも経験するものです。
でも、だからといってわざわざ健康な人が病気になろうとするでしょうか。何不自由ない体を持っている人がわざわざ車椅子での生活を選ぶでしょうか。
やはり病気であるより健康な方が、不自由であるより自由である方がいいのではないでしょうか。
そういう意味で不自由なく生活できる人がそうでない人達に対して「かわいそう」という心からの同情心を持ち、そういった人たちのことを忘れないでいることはとても大切なことではないかと思うのです。
今週、「おかあさんといっしょ」の公開録画は小児がんなどの重い病気を抱えた子供たちが入院している病院で行われたようです。そこにいる子供たちは頭にターバンを巻いていたりニット帽をかぶったりしています。抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまった子たちです。食べられずに高カロリー輸液の点滴をしている子供もいます。
生まれつき障害を持っていて車椅子に座っている子、酸素チューブを鼻から入れている子・・・どの子もみんな親にとってはかわいい我が子です。健康な体で生まれてきた子供と同じように親は愛情を持って育ててきました。そういう意味では彼らは不幸な子ではない。
でもそれらの子たちは感染症を予防するために同じ年頃の子供たちと同じように公園で走り回ったり幼稚園に行ったり学校に行って遠足や修学旅行に行ったり、といった健康なら当たり前のようにしていることができないのです。
そんな子供たちのことを「かわいそう」という同情心を持って想い、健康な他の子たちと同じことはできないかもしれないけど子供時代の楽しい思い出を一つでも多く作って欲しい、と今回のその企画を立ててくださった方がいることをうれしく思うのです。
「かわいそうと」という言葉を単なる言葉狩りのようにして片付けてしまわないでください。かわいそうに、という人間らしい同情心を持つことをやめないでください。それはいつか自分の前に
そういう人が現れたときになにかできることはないかと考えるきっかけになると思うのです。
