(動物の命の話しです。
苦手な方はこの先は読まないでください)
娘を迎えに行って次の場所へ移動中。
赤信号で停まっていると、前方反対車線のど真ん中に、白くてぴくびく動いているものが…
轢かれたばかりのネコでした。
一瞬戸惑ったものの、急いで停車して、対向車を止めて、ネコちゃんを移動させました。
片目が飛びだしていて出血もあり、でもまだ多少足が動いていたから、、
駆けつけてくれた自転車の親子さんとともに、どうしたらいいか迷ったものの…
以前より野良猫の去勢や避妊手術を低額で受けている動物病院へ電話しました。
もうダメかもしれない…
そう思いつつもどうにか出来ないか…
「目が飛びだしてしまってるけど、手足が少し動きもあります。どうしたらいいでしょうか?診てもらえますか?もしダメでも対応してもらえますか?」
返答は、
連れてこれるなら連れてきて下さい。
状態を診ます。
もし亡くなってしまっても引き取ります、と。
急いでレジャーシートにくるみ、
(こんな時にタオルのようなものが無かった)
病院へ。
こんな時に限って混んでいる。
何度も信号が赤になる。
こんな時に限って、救急車が近くを通る。
『人間なら救急車は来るのに、動物には救急車がないんだよね』
渋滞に困惑する娘とそう話しをしながら、ようやく到着。
結果は、やはりダメでした。
ちゃんと聴診器も出して確認してくれて、骨の状態まで診てくれて…
頭蓋骨が潰れてしまっているので、即死だろうと。
だからあまり苦しまなかっただろうと。
手足の反応は、身体のショック状態(神経的なものなのかな)だろうと。
私もペットの死は何度も経験があるので、そして事故の状態からダメかもしれない気持ちはありました。
でもお金は厳しいけど分割してもなんとかしても100万かかってもいいから、目が見えなくて介護が必要な子だとしても、なんとかなんとか助かるなら…
そんな希望も持ってしまいました。
反対車線で手足が動いているそのコの姿は、
【助けて!!】
って、動いているように見えたんです。
まだ子猫でした。
動物病院の先生が言うには、今の時期多いようです。
出産して育った子猫が、いろいろな好奇心を持って出歩いて事故にあって亡くなるケース。
もしそのままだったら、次の車でもっとひどい状態だったか、その場で放置されたままだったかもしれない。こうして連れてきてもらって良かった…と。
あたたかい先生の言葉に救われました。
娘、6歳。
本当なら事故にあったひどい状態のコを、怖がるのではと思いました。
移動させた時は、娘に背を向けて見せないようにしたつもりでした。
でも自ら車からおりてきて、目が飛び出たネコちゃんの状態でも、近くで身体を撫で続けていました。
病院に着くまでにそのコに名前もつけて、
先生が引き取って、身体をキレイにしている所まで見に行って…。
「どこにいくの?」って。
その動物病院では、このような事故のコも、亡くなった状態の野良猫なども引き取り、お寺さんで埋葬してもらえるようにしているそうです。
とても残念だけれど、良い動物病院に連れてこれたことにホッとしてました。
でも娘は、初めての身近な死。
そしてなぜかうちで猫との縁がない頃から、ネコちゃんが大好き。
だからとても悲しんで、哀しんで、当たり前ですが、気持ちの整理がつかないようでした。
それからいろいろ用事があったのですが、
死んだ後どうなるか、火葬の後はどうなるかなど聞かれて、いろいろと話しをしました。
動物病院のお姉さんは、
「お空に行ってお友だちと遊ぶんだよ」
と優しく言ってくれました。
でももう私のがんで、普通の6歳児ではない。
3歳から私の闘病と関わってきているので、死体はどうなるのか、お墓はどういうものか、酷でもちゃんと話しました。
その日、寝る前に紙にそのコの絵と名前を書いて、仏壇に置くと言ってきました。
わが家には歴代のワンコたちのお骨を置いてある、簡易仏壇(母が設置)があるので、その紙を飾りました。
なむなむしました。
1時間も一緒にいなかっただろう、その子猫のことを想う娘の姿にたくさんのことを考えさせられました。
ペットブームでも野良猫はいて、こういう事故は珍しくないのかもしれない。
車を運転する者として、私も起こらないとは言い切れない。
だけど、あっさりとは考えられなくて、とても可哀想で、そのコの魂というものがあるなら、少しでも安らかに穏やかに亡くなったんだと信じたいです。
今日娘は熱を出してお休みしました。
ここのところ夏休み明けで登園拒否していたり、日頃からがん患者の子どもというプレッシャーもあるんだろうと思います。
いつもやんちゃで元気だけれど、本当はとてもデリケートなんだと思います。
私はまだまだ死ねないです。
この世界がなんなのかもわからないまま、
きっと人間にも懐くことなく亡くなっていたネコちゃん。
命は本当に本当に儚いです。
私は乳がんになる前まで、自分を軽視して命について軽薄でした。
がんになってステージ4というポジションになって、変わった世界。
あらゆる災害や事故、小さな命でも一瞬で消えてしまうこと、それを想うと私なんてなんともない。。
そして娘にこんな哀しい想いをさせたくない。
生きれる限り生きて、どんな私でも生きてたいと強く思う出来事となりました。
しろたん、ありがとう。。