たんたん短歌136「おそれる」

 

 

 2024年8月18日(日)早朝に放送された「NHK短歌」におけるテーマは「こわいもの」だった。

 

 ブログ主も今から十年以上前に、このテーマに関連して「こわい」あるいは「おそれる」と読める漢字、すなわち「怖、恐、畏、懼」を含む歌をいくつか制作していた。

 

今回は歌集「君はパパの子」14ページに収録した次の作品を紹介しよう。

 

 

クローバー

 

 

ドラマなら死んでもやがて生き返る ドラマならばと思うを懼る

 

 

 イギリスの小説家W.W.ジェイコブズが20世紀初に発表した「猿の手」という、ちょっぴりこわいお話がある。そのあらすじは、

 

 ある夫妻が三つの望みを叶えるという猿の手のミイラを手に入れた。まず、夫妻の息子が「お金がほしい」と願ったところ、彼は事故で亡くなり、勤務先から「願った通りの」金額のお金を受け取った。

 

 そして、残りの二つは夫妻それぞれが願い事をするのだが、それらは叶ったのか、それとも、叶わなかったのか。結末はここでは伏せる。

 

 

 ところで、テレビのドラマを見ていると、いわゆる刑事モノなどで犯人に殺されてしまう役柄の人がいる。彼あるいは彼女はそのドラマでは「死んで」しまうのだが、また、別のドラマに出たり、別の番組でしゃべったり笑ったりしている。

 

 つまり、いつかはやがて「生き返る」のだ。

 

 

 あなたは、身の回りで実際に起こった出来事について、それがテレビドラマのようなフィクションであってほしい、と思ったことはないだろうか。

 

 非現実の世界の事として、自分の失敗を隠したり、他人の悪事を見て見ぬ振りをしたり、世の中の間違いを正しいと言い張ったり。

 

 あるいは、亡くなってしまった、あなたにとって大切な者たちがいつかはやがて生き返ってほしいと願ったり、このような悲劇は現実では無いと思いこんだりすることである。

 

 

 いずれにしてもそれらは叶わない。虚構がいくら空想を語ろうとも、現実の持つ力には敵わない。また、いかなる虚構も現実を超えるほど恐ろしくは無いものだ。

 

 今はお化け屋敷を怖がる幼児も、生身の人間の方がよっぽど恐ろしい存在であることにいつかは気が付く。目の前でにこやかに料理をしている母親の頭に突然角が生え、怒りを爆発させる姿を見ることだろう。

 

 

 私は、現実の出来事を「それらがドラマのようなフィクションであったら」と思う機会が増えることを懼(おそ)れる。

 

 もちろん、人間であれば、現実の生活を直視せずに、理想、空想の夢や希望を追い求めたいものである。しかし、理想と現実の境界を曖昧にしたままで、それが思考停止につながるような愚は、個人に限るのであればいざ知らず、社会全体においては避けなければならない。

 

「天は自ら助くる者を助く」と言わない虚構を、現実は決して助けてはくれないだろう。

 

 

(2013.4.11)

 

クローバー