たんたん評論「標語を短歌形式で作ろう」

 

 

 児童生徒の作る短歌には往々にして「詩歌」とは呼べないような、例えば、「標語」や「スローガン」のような作品が混じることがある。この原因は、学校において国語の授業の最初に「詩歌とは何か」について、児童生徒にきちんと教えていないからである。

 

 

 詩歌とはそもそも「漢詩」と「和歌」の二つを略した言葉であった。ただし、現代社会においては凡そ「現代自由詩」と「俳句や短歌のような短詩型文芸」の二種類を指すだろう。なお、前者なら凡そ非定型の、そして、後者なら定型の短文である。

 

 いずれにせよ、それらは「文芸」すなわち文字を用いた芸術であって、社会生活においてルールを守ることを訴える標語/スローガンではない。ただし、詩歌をきちんと習わなければ、子どもたちが標語のような作品すなわち「標語歌」を詠うのも仕方が無いことだ。

 

 

 他方で、そもそも標語を制作する際には、覚えやすさや発声しやすさ等を考慮して、五音や七音の言葉を組み合わせることが多い。そこで、これを五句定型の短歌形式で制作することは何ら問題ないどころか、ぜひとも推進したいものだ。

 

 しかしながら、現代社会における標語やスローガンは凡そ三句十七音の俳句/川柳形式で制作されている。それらは例えば、「手を挙げて横断歩道を渡ろうよ」や「火の用心マッチ一本火事の元」等である。

 

 

 ただし、こうした俳句形式では音数の制約のせいで、意図が正確に、あるいは十分に伝わらないこともありそうだ。そうした例を一つ挙げよう。ブログ主は最近、凡そ次のような標語を街で見かけた。

 

「自転車に乗ればあなたも運転手」

 

 

 なお、事物の表面しか分からない子供がこれを読めば、次のように解釈するだろう。

 

「通常は自動車に乗った時に「運転手」と呼ばれる。他方で、児童生徒などが自転車に乗る際には、自分を「運転手」とは認識しない。しかしながら、自転車も道交法上の軽車両であるから、それに乗る者も運転手である」

 

 

 ただし、これでは法的に自明なさまを単に述べただけで、社会に対して何らかの注意や行動を促す標語やスローガンになっていない。もしかすると、カーレースに興味のある子どもなら、「自分もドライバーか。なんだか格好良いな」と勘違いするかもしれない(笑)。

 

 なお、この標語が言わんとすることは、上記に続けて次のような内容だろう。

 

「もしも、自転車に乗る者も運転手なら、自動車の運転手と同様に交通ルールを守り、安全運転を心がけるべきである」

 

 

 こうした際には、三句十七音の俳句よりも下の句の七七の分だけ多い短歌形式で記述すれば、趣旨全体をカバーできるだろう。一例として、次を挙げる。ご参考までに。

 

「自転車に乗ったら君もドライバー 守ろう交通ルールとマナー」

 

 

 なお、詩歌の韻律も意識して、上下の句末を長音「―」で韻を踏んだ。こうすれば、音数の多い標語でも少しは覚えやすいかもしれない。

 

 このように短歌形式で制作した方が、訴えようとする趣旨をより正確に伝えることができるだろう。そして、短歌形式の標語が今後普及すれば、文芸としての短歌も世間一般において身近な存在となるかもしれない。関係各位のご賢察を願おう。

 

 

 それにつけても、短歌は難しい。それでも、短歌は明るく楽しく、そして、素晴らしいものだ。

 

クローバー