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繁華街のど真ん中、細い道を入った、さらに路地裏に立つ地味な雑居ビルの5階にそのバーはある。
表札は彭、としか書いてないから、このドアの向こう側が、業界人御用達のシークレットバーであることは、関係のない人間はまず気づかないだろう。

日付がもうそろそろ変わる時間に、分厚い天然木のカウンターで、チャンミンを待っていた。



同伴入隊したおれとチャンミンは、初めて、外泊可能な休暇を与えられた。


まずは実家に戻ってさんざん家族に甘やかされる時間を過ごした後、義務警察に戻れば嫌って言うほど行動を共にすることになるチャンミンと、2日目の夜中、早々に待ち合わせすることになったのは、別に変な関係になったわけではない。

仕事で一時間遅れで合流する予定のうちのマンネに電話でそう言ったら、長い沈黙のあと、シウォニヒョンの冗談、分かりづらいからやめてください、と言われた。
キュヒョンの冗談こそ、おれには分かりづらいことは、ナイショだ。




同じような年齢の、仲のいい連中が揃って兵役に入り、おれの所属するグループは人数がいるから外にいる誰かしら会えるが、チャンミンは気の毒に、唯一のメンバーである、ユノヒョンもちょっと前に兵役に入っている。

二人しかいないメンバーの休暇がマッチする機会なんてなかなかないはずだが、今回はどうやらかぶるらしいと分かって、チャンミンはひどく嬉しそうに、連絡を取り合っていたようだったのに、休みに入る前日に
「で、今回、会えそう?」と聞くと、
目をそらして、
「わかりません、」

直前にならないと、
ソウルに戻ってこれるか、
実家で過ごすかわからないって、

それに、こっちに戻ってこれたとしても、

チャンミンは、どう言葉を続けようか迷うような顔をして、

何しろ、ヒョン、ちょうど誕生日だから、その、
お友達と盛り上がる予定みたいで、

しょうがないんです、

ユノは人気者だから。



日頃、聞き役に回ることが多いチャンミンが妙に饒舌に状況を説明してくれるのを聞きながら、おれは、チャンミンにわざわざスケジュールを確認したことを後悔した。










思春期からの半生のほとんどを、この業界で過ごしてきたチャンミンは、ある意味、純粋培養の芸能人だ。
似たような立場、と思われるかも知れないが、チャンミンの置かれた立場とおれの立場には厳然たる差があって、事務所の囲い込み方も、仕事のありようも、おれはこの状況を楽しんでいるからいいんだけど、チャンミンはさぞかし大変なんだろうな、と思っていた。

真面目な奴だし。

その横にいるのはさらに輪をかけてマジメで頑固なユノヒョンだし。

まじめになるしかない状況に追い込まれた二人だったし。


そんな、まじめで、頭のいい男だからこそ、バランスを取ろうとして、反動のように「普通の人生」にこだわっているように、おれには見えていた。

だから、兵役に入ってからの普通の韓国人の男の生活を、体はきつくても、苦労はあっても、それなりに、誤解を恐れずにいえば、解放感を、楽しむんじゃないか、と、勝手に想像していたのだが。



仕事に執着を持っているのは、おれも同じだ。

この国の男の義務を果たすために、2年近く、栄枯衰退、移り変わりの早い芸能界から離れることへの不安は大きい。同じような立場、感情を共有する仲間が恋しい気持ちはよくわかる。

おれだって、会えないメンバーが恋しい。

けれど、休暇の都合を一番に優先してもらえないからって、夢にまで見た休暇の前にこんなに悲しい顔をするだろうか?





兵役に入る前、仲間内でユノヒョンの入隊を送った会で、送られる立場のユノヒョンから、チャンミンを頼む、と反対に頭を下げられて恐縮すると、
「シウォンがチャンミンと一緒に行ってくれると聞いてどんだけ心強いかしれないよ」
黒目がちなアーモンドアイを猫のようにきゅっと細める、誰しもが惹きつけられる笑顔を浮かべて、坊主頭のユノヒョンがおれの肩をたたいて、結構痛くて、隣でチャンミンが、ひどく嬉しそうに、笑っていた。

基礎訓練が始まってから、チャンミンの手首に、ユノヒョンからプレゼントされたおれと色違いの時計を見つけて、
あ、と指さすと、はい、僕ももらったんです、ユノヒョンの最初の休暇に会えて、と報告してきた。


チャンミンはその時計を触るのが癖になってしまったようで、周囲の視線に気づくと誤魔化すかのように手首ごと握り、視線をよそにやるが、その手は時計から離れない。

その様子は、キュヒョンから聞いた、
兵役直前のアンコールコンサートで、
抱き合うこともせず、
不器用に、
最後の最後、
ただ手をつないだ、という二人を思い起こさせた。

(見てらんないんですよ、あの二人)



とうとう、黙り込んだチャンミンに、
「二日目の夜に外にいるうちの連中と会うつもりだから、混ざれば?キュヒョンも来ると思うし、」
と言うと、お願いします、とチャンミンが笑って、この待ち合わせになった。








結構前に来たっきりだったが、店はずいぶんと広くなって、どうやら隣の部屋もぶち抜いて、大幅な改装をしたようだった。
奥の方が個室になっていて、盛り上がっているグループがいるらしく、ざわめきが伝わってきて、回りの客がちらちらとそっちの方を見ているのが目の端に映った。


「スイマセン」
小山のように大柄なオーナーが、カウンターから声をかけてきた。
「雰囲気変わりましたね?」
と言うと、
「いえ、いつもはこんな感じじゃないんですけどね、実は、ユノさんが」
「え、」
「同じ事務所ですよね、シウォンさんと、」
とロングヘアを後ろにまとめてインディアンみたいな顔をしたオーナーが巨躯を丸めて、そっと耳打ちしてくる。
「え、ユノがいるの?」と声を低めて奥の部屋を指さすと、
彼は手を顔の前で素早く降って、
「違います、今は誕生パーティ別の店でやってるんでしょ?それが終わり次第、こっちに来るらしくて、いつもの仲良しの人たちが個室取って、待ってるんですよ」

それでちょっと、
少ししたら落ち着くでしょう、
とオーナーが頭を掻くのを
あ、ほんと、と絶句していたら、背の高い、目深にキャップをかぶった地味な服装だけどスタイルが良いのがシルエットだけでわかって、妙に目立つ男が、フロアーに入ってきたのが見えた。

チャンミンだ。

ボーイが寄って行って、あちらに、と手を差し出して、顔がこちらを向いたので、手を挙げて、合図する。

軽く頷いて、顔を伏せて少し段差のついたフロアーをたた、と駆け下り、こちらに向かってくるチャンミンの背中を、回りの視線が追っている。
美しい外見の人間に目がいくのか、それとも、待ち合わせ相手との組み合わせで、素性が知れたのか。

それでも、おれが入店した時と同様騒がれないのは、兵役休暇にこういう場に顔を見せたタレントをそっとしておいてやろう、という、この手の店の暗黙のルールが変わっていなかったということだろう。







「待ちましたか、すいません」
と、厚みを増した特徴的ななで肩を心持ちかがめて、チャンミンがキャップをとってカウンターに置き、おれの隣のスツールに座り、カウンター越しに目の前に立つバーテンダーに、
「この人と同じの」と、声をかけて、
「シウオニヒョン?」
大きなバンビアイがこっちを見つめてくるのに、不自然なほど、黙ってしまっていたことに気づいた。

「...お疲れ、ゆっくりできた?」

はい、
と言いながら、差し出された温かいおしぼりを手にとって、
「へえ、ここ、いいですね、」
さすが、シウォニヒョンが知ってる店は違うなあ、とちょっと周りを見回しながら、如才なく、笑う。

「チャンミンも、おっさんになったなあ」
と思わず呟くと、
「そりゃそうですよ、ていうか、そんな歳違わないですよ、ヒョン、」
としれっと返される。

幼い頃からの彼を知っているから、違和感を感じてしまうが、守ってやる必要などない、軍役を果たしている、おれと同じ、もうすぐ30歳にもなる、大の男なのだ。

それでも、チャンミンの優美な、長い睫毛に縁取られた二重の瞳を見ていると、10代の頃の線の細い、少年の面影が重なって、
「これ、結構強いよ、大丈夫?」
とつい、年長者ぶってしまう。
「あ、そうですか」
でも、僕、ちょっと飲みたい気分です、
と、バーテンが音もなく置いた目の前のグラスを見つめるから、ユノヒョンからは連絡来てないのかな、と思う。

「この後、キュヒョンたちもここに?」
「うん、それでもいいと思ったんだけど、」
どうしようかな、とつぶやくと、
「え、」
グラスを持って一口酒を口に含んだチャンミンが聞き返してきて、
同時にすうっと足元に冷たい風が吹き込んで、ガヤガヤと新しい客が固まって店に入ってきた。


外から電話が入ったのか、
「あー!きたきた!」
とかなり酒が入った様子の数名が大声をあげて、奥から出てきて、入ってきた人間にシーっ、と注意されている。
「あ、すいません、」
一度は大人しくなった面子が店内を見回して、今度は、おれとチャンミンを見つけて、全員が奇声を上げ、収まった騒ぎがまた大きくなり、収拾がつかなくなった。

面子にはトンのバックダンサーもいて、
「やだ、チャンミン、こんなところで」
「そろそろ休暇とは聞いてたのよ、シウォンまで、」
お姉さんたちは大興奮でチャンミンとおれの手を握り、振り回す。
逞しくなっちゃってえ、と、うちの事務所の音楽制作のチーフがかなり酔っぱらった真っ赤な顔でしがみついて来るのをよしよしと宥めていると、
「ユノ、早くこっち、」
と人だかりの後ろで声が上がり、チャンミンの肩が揺れた。

店のオーナーに話しかけられてるのが人の間から見えて、それに頷き返しながら、
「おい、あんまり騒ぐと店に悪いから」
それほど大きくないのにスッと通る声が聞こえると、その場の興奮がトーンダウンして、後ろのテーブル席で壮年の連れと静かに飲んでいた、完璧な化粧をした女が「ユノユノよ」とため息のように囁いたのが聞こえて、全身黒ずくめで、チャンミンと同じようなキャップをかぶった、やはり異様に人目を引く男、つまり、ユノがそこにいた。




少し痩せただろうか。

うつむき気味で目元がキャップに隠されているが、つばの下からの秀麗に削げた頬、もともと小さい顔が片手で掴めるくらいにしか見えなくて、滑らかで繊細な鼻梁のライン、完璧な弧を描く下唇の膨らみが美しい。黒いダウンジャケットの前が開いているので、薄手の丸首ニットの胸元が肉感的に押し上げられていているのが見えて、首筋がバーの暗い照明の下でも妙に白い。浅く健康的に日焼けした顔肌とは肌色が違うから、与えられている軍服が首を完全に覆い隠しているのかもしれない。

と、そこまで考えて、自分がかなり無遠慮に、嘗めるように観察してしまっていることに気が引けて、ふと、回りを見渡すと、周りを囲む全員がユノを見つめている。

ユノは、いつも、こんな視線に囲まれているんだろう。

たとえ、支給の着古された軍服を着ていようが、頭髪を無惨に刈られようが。

この人の内側から発せられている吸引力は、何一つ変わっていないんだろう。



体をひねるようにして、斜め後ろに立つオーナーと会話をしていたユノヒョンが、周りの表情と視線に促されて、こちらを振り向いた途端、漆黒のびー玉のような瞳が驚きに見開かれ、唇が、チャンミン、と声を出さないまま、かたどられた。

数秒のタイムラグの後、横に座るおれに視線がシフトして、
「シウォン!」
「お誕生日おめでとうございます」
「こんなところで会えるなんて、ありがとう」
自然に差し出された両手を握りながら、理由もなく緊張を感じて、真横に立ちすくむチャンミンが見れない。

「え、待ち合わせしてたの?」
と聞く友人たちに
「いや、偶然」と言いながら、ユノがチャンミンに視線を戻し、チャンミンはただひたすらユノを貪るように見つめていて、二人の視線はからまった。

ユノの小さな唇が薄く開き、何か言いたげに震えては止まって、結局なにも言葉を発しないまま、二人とも、完全に黙ってしまって、周りの言葉にも反応しなくなったので、それ以上勝手に盛り上がることもできず、その場がしんとなる。

勇気のある、仲間の一人がとうとう、
先に中に入ってるよ、とユノに声をかけたら、
うん、と上の空で返した後、ハッとした顔をしておれの顔をチラッと見て、
いや、と首を振り、
「シウォンと約束があるんだろう、」と小さく微笑んで、チャンミンが、あ、と息を飲んだ。

「じゃあ、」
ユノが、
「元気な顔が見れてよかった、」
チャンミンの肩を叩き、優しく笑って、おれに頷いて、移動し始めた友人たちの方に振り返って、奥の部屋に入っていった。








「チャンミン、」
「はい、」

ぼうっとした顔で立ち尽くしていたチャンミンが、機械的に返事を返してきて、

「大丈夫か?」
「え?はい。」

自分が座っていたスツールに手を伸ばして、座り直すかと思ったが、座らずに、スツールの座面をただ指先で撫でながら、立ちすくんている。

バーテンが、
「あちらに移動されますか?」と聞いてきて、
あー、とおれが答えようとすると、
「いいです、ここで、」
とチャンミンが、妙に断固とした声で言って、
おれが視線をチャンミンに向けると、

「すいません、トイレ、どこですか?」
「奥です、」と、
指差されて、
キャップをかぶり直しながら、チャンミンは、
スイマセン、とだけおれに言い置いて、奥に向かった。

ふらついて見えるのは、まだ一口も飲んでいない酒のせいじゃないだろう。


うーん。

と、思わず呻いたら、目の前のバーテンが、次の注文か、と寄ってくるので、
「あ、ゴメン、」
と手を降る。


尻の下がモゾモゾする。









まったく、見てらんない。