星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』

 

観劇して感じたのは

礼真琴・舞空瞳という

トップコンビの関係性が垣間見える、

無償の愛の物語

であるということだ。

 

 

 

 

礼真琴の魅力の1つ

それは影のある笑顔だと思う。

舞台を降りた場で見せる朗らかな笑顔は

太陽のように明るいが

舞台に息づく彼女の笑顔には、

繊細で壊れてしまいそうな危うさを感じる。


何かに例えるとするのならば、

彼女の作る男役には、

惹かれずにはいられない

""のような寂しさがある。

注釈しておくと

これは”芝居における男役像”の印象である。

 



それに対して相手役である舞空瞳の魅力は、

圧倒的ヒロイン力である。

舞台で放つ彼女の"強さ"まさに太陽のようで、

彼女の笑顔には汚れを知らない純粋さがある。

若男女問わず観客がみな

彼女の愛らしさに恋する。

そしてこの笑顔を守れるのならば

どんなことでもしよう、と思わせる。

このヒロイン力こそ彼女の武器だ。

 




礼真琴と舞空瞳の芝居における

感情表現の違いが

2人の演じる役柄の関係性にも

良い効果をもたらしていると感じる。

 

例えばラブシーンにおいて

礼さんは”愛おしい”という感情を

切ない表情で表現することが圧倒的に多い。

明るい作品である

『めぐりあいは再び next generation』の

ルーチェでさえ、眉根を寄せて、

恋人アンジェリークを見つめる表情が

印象に残っている。

誠実で純粋な愛を貫く役であればあるほど、

受け身な姿勢が多く、愛の告白は慎重に

言葉を選んで発する印象が強い。


時にそれは母性本能をくすぐる青年に。

時にそれは想い人を見守る大人な男性に。


持ち味を生かした変化が出来るからこそ、

固定概念にとらわれず

様々な役を演じてほしいと思う人だ。

 

 


対して舞空さんは

好きという気持ちを明るい笑顔で

表現することが多い。

好意を相手に伝える芝居をするときは

少し早口になったり、

身を乗り出して言葉を発したり

相手をギュッと掴んだり…という印象がある。

幸せのあまり瞳を潤ませて役を演じていたのも

1度や2度ではない。


計算された芝居の範疇を超えた

いわゆる”破顔”で熱演する彼女は

感情型の役者なのではないかと思う。

感情の高まりをそのまま表現できる点も含め

能動的なヒロイン像がイメージしやすい娘役だ。

 



2人の芝居の表現方法が異なるが故に

その違いが月と太陽のような印象を

与えるのだろう。

そんな2人の持ち味が遺憾なく発揮されたのが 今作『ディミトリ』だったのだと思う。


苦しい状況でも強く突き進むルスダンと

その眩さを守りたいと思うディミトリ

関係性は2人の芸の持ち味に合致した。

いや、合致しすぎたが故に

見ていてあまりに切なく苦しくなるほどだ。

 




また2人の芝居の中に流れる空気感から

トップコンビとしての関係性をも

感じることが出来る。

舞台は生ものであるが故、芝居は日々変化する。

その中で、感情のままぶつかる舞空さんの芝居を礼さんが受け止め、

礼さんはその都度芝居全体のバランスを考えて

セリフを返しているような印象がある。


これは2人の学年及び舞台経験の差であり

自由に芝居をすることを許容している

礼さんの包容力、

ありのままぶつかっていけるという

舞空さんの礼さんへの絶大な信頼感という、

舞台を降りた2人の関係性そのもののようだ。


これぞ、宝塚独特の”トップコンビ萌え”の

真骨頂のように思う。

 


宝塚専門チャンネル内で、舞空さんが

「琴さん(礼)は、ディミトリのように

私を理解してくれている」

と発言した。

舞台で描かれる美しい愛の物語と

宝塚のトップコンビの関係性が

似しているとはなんと素晴らしいことだろう


宝塚歌劇は”舞台”でのみ理想の世界を

創造していると思っていたが

もしかしたら宝塚歌劇自体が理想を現実化し

人々に夢を与えているのかもしれない。


そんなことを思わせてくれる作品だった。