おかん、高校生になる。過去の話。(長いです。)
完全に個人的なこと書きます。
でも、今の心境や、過去のこと、忘れたくないので書いておきます。
たぶんめっちゃ長いです、ほんでもって完全に自分の話です。
未来の自分に残します。
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昨日、電車にゆられ30分、梅田までいって、高校の願書を提出した。
おかん、とうとう高校生。
うちは高校を中退してる、高校三年生初夏。最終学歴中卒。
高校をやめてから、また通おうとは思ってたけど、やっぱりめんどくさくてずっとほったらかしてきた。
うちはいつもいろんなことから逃げてきた、両親、学校、周りの環境、自分自身の弱さ。
でもやっと、そういう自分に向き合うことができるようになったかも。
春から、通信やけど、高校生。目標は一年で卒業。子育てと学校の両立。大変やけど、自分の責任。がんばらなくてわ。
でも、今は高校に通ってた当時にくらべ、ちゃんと学校へ通うことの大切さ、勉強して知識をつける大切さ、がわかる気がする、きっとうちが学校に通う時期は今やったんやと思う。うーん・・・・そう思いたい。
高校をやめる!ってなったとき、すごいつらい時期やった。すごいつらくて、あの頃の記憶がほとんどない。
でも忘れたあかんと思う。思い出せる限りのことを書こう。
高校をやめたのは、高校三年生6月。
今思えばなんでこんな時期にやめたんやろ?正直、頭のいい高校ちゃうかったし、適当に学校いっとけば卒業できたし、やめるほうが大変やった気がするな。
過去の話。
うちの両親は仲が悪い。小さいころから仲良くしてるとこはみたことがない。家族で出かければいつも両親はカリカリしてて喧嘩してた。うちはお母さんの顔色をうかがって話をするようになる。
中学のころは家に帰るのがいやで、夜おそくまで遊ぶようになる。
高校にはいって、ますます家に帰るのがいやになる。はやく働いて家をでる。そればかり考えている。中学の卒業式が終わるとすぐにバイトの面接して、高校の入学式の日からバイトを始める。
高校時代はとにかくバイトに夢中。バイト先で恋をしてたのもあるかな。月100時間ほど働く。学校へは遅刻ばっかり。遅刻ばっかで休みがちなうちやったけど、友達にはめぐまれた。気分やでどうしようもないうちを、学校にいくといつもみんなが相手してくれる。周りにはいつも誰かいた。
今思うともっと友達を大事にしとけばよかったな。バイトの疲れで学校では休憩時間もぶっ通しで一日居眠り。
高校にはいったころから、友達の家や、当時付き合ってた彼の家に転がり込み、家にはほとんど帰らなくなる。
もう帰りたくないとおもってた。
帰らんかったらもちろんお母さんに怒られる。当たり前やな。そのたびに謝って、でもまた家に帰らない。そのくりかし
そんなに帰りたくないならもう出て行ってくれていいで、とお母さんによくいわれた。
正直お金があるなら今すぐにでも荷物をまとめて出ていきたいといつも思ってた。
お母さんとはぶつかりつつも毎日を過ごす。高校二年の時、アルバイト先で付き合ってた人と別れ、バイトもやめた。でもまたすぐに新しいバイトをみつける。ほんですぐ彼もできる。
そこで出会ったのが、あの居酒屋。このバイトの出会いは本間感謝。
ただ単純に居酒屋で働いてみたいと思った。
でも当時の彼には居酒屋で働くの大反対されたな。反対を押し切って働いてたけど、いい顔されんかった。バイト先の人間全員嫌いっていわれた。さすがにこれはひどいやろ(笑)
ふらふらしつつも高校三年生になる。
適当に通ってた。先生にどの授業に最低どれだけでれば単位がとれんのか聞いて、ぎりぎりしか学校にいかんくなる。
心のバランスは不安定。
6月お母さんから「もう離婚するとおもっといて」とつげられる。
仲はよくなかったし、うすうすそんな気はしてたけど、言葉にされると、どーんと響き
夜10時を回ってたけど、家を飛び出して、近くの公園へ。バイト先のめっちゃ慕ってる先輩に泣きながら電話をかけた。その先輩のご両親も離婚はしてないものの別居されてるみたいで、めっちゃ親身に長い時間泣いて何しゃべってるかわからんうちの話をきいてくれた。
正直、たかが離婚でこんなに自分がダメージをうけるとは思ってなかった。
なにかが崩れたような気がした。もう家族はバラバラになって、あかんくなる気がした。
たかが離婚で大げさな、って思うかもしれんけど、うちは大きい問題やった。
小学校5年生のとき、なんとなくお母さんに「もしも離婚したらお母さんとお父さん、どっちについていく?」と聞かれたことがある。そのときは冗談やとおもて「わからーん!」とかゆうてた気がする。
今思えば、そのころから考えてたんやと思ってぞっとした。
それからどんどん心のバランスが崩れていく。
ますます学校にいくのがいやになった。いやというよりめんどくさかった。なにもかもがめんどくさかった。
でもそんな自分の両親のことなんか誰にもいえへんし、つらかった。
だんだん朝起きれへんようになっていく。あの話をされてから、彼の家に転がり込んでほとんど家に帰らなくなる。学校もやすみがち。バイトしてるときだけが全部忘れれる気がした。
もう急になにもかもがいやになる。急に学校へいく意味がわからんくなる。
誰にも相談することなく学校をやめる決意をする。
やめようと決めた次の日。先生にそのことを伝える。もちろん反対される。
学校へほとんどいってないとはいえ、ぎりぎりの状態で単位は全部とれてるし、高校三年生なんて、ちょっと学校へ通えば卒業できるし、あとちょっと頑張ろうと必死の説得される。
でも、うちにとっては無理やった、すごい苦痛やった。
お母さんに学校をやめるとメールで伝えた。もちろん反対されたのは覚えてるけど、どんな言葉でどんなメールが返ってきたのかは記憶がない。
次の日お母さんと一緒に学校へ。もうやめる気満々やった。学校までの道中、お母さんとかなにもしゃべらんかった気がする。
担任の先生と、学年担当の先生とお母さんと、みんなでうちを止めた。
もういややった。全部いややった。心の中では「誰も自分のことなんもしらんくせに」と叫んでた。いっぱい泣いた。人前であんなに泣くのは人生の中でもうないと思う。
この日は結局退学届を受理してもらえず、いったん帰宅。帰ってからの記憶なし。
この日からお母さんの態度は冷たくなる。
その次の日も先生たちと話あって、退学届を受理してもらう。
うちは学校をやめることになった。
いつもみじかかったスカートはひざ丈に。化粧はせず素ッピンで、教室へ向かう。
みんないつもと違ううちの様子に戸惑ってたけど、うちはなにも話さず、自分の荷物を全部まとめて教室をでる。
仲の良かった友達がかけつけてくれて事情をきいてくれた。うまくしゃべれず、「学校やめんねん。色々ありがとう」的なことをゆったと思う。友達の顔みたらなんか糸ふぁ切れた気がして涙がボロボロあふれた。
でもそれ以上は話さず学校を出た。
家に帰るとお母さんがいた、当然やけどいっぱい怒られた。もう出ていく決心をする。自分の荷物を全部まとめて彼の家に完全にすみこんだ。
それからも体調は全然よくなくて全然起きれない、なにもやる気が起きない、体中かゆくて背中にいっぱいぶつぶつができた。とにかくつらかった。自分でもどうしたらいいのかわからんかった。
誰にも会いたくなかった。でも誰かに会いたかった。
このときのどうしようもないうちをずっと支えてくれた彼にはすごい感謝してる。
なにかのタイミングでなしかに会うことになる。中学卒業してからとくに連絡とることもなかったのに、むしょうになしかに会いたくなって会いに行く。
今日に心がほっとして、自分のことを全部話した。うちの今の症状からうつ病ではないかといわれる。
たしかにいろんなことがあてはまっていた。なしかはうつ病に対して知識があったので、うつ病は自分をうつ病とみとめんとなおらんといわれる。
まさか自分が。
とそんな気持ちでいっぱいやったけど、たしかに体調はずっと悪いし、でもどこが痛いとかそんなんではなく、空虚感というかなんというか、気分がずっと落ち込んだ状態やった、自分の殻に閉じこもってた。
すこしずつ、自分はうつ病なのかもしれないと思いだす。
なしかに会ったあの日からちょっとだけ体調がよくなる。
それでもあかん日は全然あかんけど、彼にもひどくあたったりして、かまってほしいといったり、ほっといてといったり、扱いにくい女やったやろう
でもちょっとずつ回復していく、自分の殻にこもっててはなにも始まらんから、心開ける友達に会ってすこしずつ話しをきていく、そんな感じやった。
でも友達に会うことを苦痛と感じることもあった。
たまに家にも帰った。帰るといつもお母さんにきつくあたられた。ストレス発散の的にされていた。きつくいわれては、頭がぐるぐるになって、過呼吸になって、めまいがした。
過呼吸ということじたいしらないお母さんはうちはしんどいふりをしていると思って、ひどいことをいわれた。このときいっぱい傷ついた。でも、何を言われてたかはもう覚えてない。
このことがあるからといって、お母さんを憎んではいない。お母さんもつらかったと思う。やっぱり人間やし、誰かにひどいことをいってしまうこともあると思う。だからたまには当たってくれてもいいと思う。
背中のぶつぶつがほとんど消えたころ、彼に別れを告げられた。
正直こんな女は重かったんやろう。
でも彼氏という存在にかなり依存してたうちは、別れを拒んだ、その彼のことが大好きやったし、絶対に一人になりたくないと思った。
でも彼の決意は厚く、別れる結果に。
でもうちには帰る場所がない、泣いてぼんぼんいはれた目で不動屋さんへいき家を借りる。
18歳の秋、一人暮らしをはじめた。
一人暮らしを始めてからは、さみしかったけど、友達が毎日のようにきてくれて、おもってた以上に大丈夫やった。
気付いたことろには背中のぶつぶつは消えてた。
もう家に帰らなくてもいい、という絶対的な場所を手に入れて心のバランスがとれた気がした。
ここからの出来事はよく覚えてる。たぶん楽しかった思い出が多いんやろう。
いろいろつらいことがあったあの時期は、
アルバイトが楽しいと思ってたけど、正直、バイトをしてたときの記憶、誰にあってなにを話したか、どんなことを考えていたか、ほとんど記憶がない
つらかった時期やから自分のなかでかきけそうとしてるんかもしれん。
でも、つらかったけど、忘れたあかんことやと思う。
結局のとこあれから何年もたってるのに、両親はまだ離婚してない。
子供のことお金のこと家のローンのことで、両家の両親(うちからおじいちゃんおばあちゃん)もまきこんで話しあってるみたいけど、今となっては客観的にみれるかな。
正直離婚の原因がお父さんにあって、いわゆるわがままな父親失格って感じ。
うちも父親らしいことをしてもらった記憶はあんまりないかな。
父親とはもうずっと絶縁状態。
トミーもあったことはないし、身内だけでして小さな結婚式にも呼んでない。
トミーの親には話して理解してもらえたからよかったけど、
やから、父親は陸の顔も勇の顔もしらない。もちろん抱いたこともない。
この先抱かせるつもりもない。
正直なところ、父親の顔はもうあんまり思い出せない、どんな顔で笑ってたか、どんな声やったのか、思い出せない。さみしいことかもしれんけど
今でも街中で、父親に体系や髪形がそっくりな人をみかけると、ちょっと息があらくなって胸が痛くなる。
自分のなかでまだ色々と整理できてない部分なんやと思う。
でも、うちはこのことを忘れない。父親と次会うのはいつかはまったく予想もつかへんけど、すこしずつ今まで自分が逃げてきたことに、目を向けてみようと思う。
陸も勇も産んで、うちは強くなった。
もういろんなことから逃げたらあかん。
うちは、やっぱり頑張ってる自分が好きやから。
また、あの頃を忘れそうになったらこれを読んで、また頑張ろうと思える自分がそこにいますように。