皆様、こんばんは。
最近は、「○○じまい」という言葉が本当によく聞かれるようになりました。
「墓じまい」、「年賀状じまい」、「実家じまい」。
最後の「実家じまい」については、これは昔から行われてきたことであり、
住まれる親御様がお亡くなりになった状況では致し方ないことであります。
しかしながら、前の二つについては、日本の伝統が昨今、急速に廃れつつあるのでは、、、
と個人的ではありますが、心配しております。
私は言葉もつたなく、知識も乏しい人間なので、今日はあの瀬戸内寂聴先生が
おっしゃった言葉をお借りしてみようかと思います。
あるとき、寂聴先生が法話をされた後、一人の年輩女性が近寄ってこられ
このようなことを言われたそうです。
ー先生、私は近々、墓じまいをしようと考えているんです。
寂聴先生は女性に尋ねられました。
ーあなたのお墓の面倒を見てくれる人がいないの?
と女性は首を振りました。
ー息子がいますけど、その息子にお墓の世話をさせるというか、手間をかけるのが
申し訳なくて。
息子さんに迷惑をかけたくないから、自分が生きて動ける中に墓じまいをしようと
考えたそうです。
その女性に対して寂聴先生がされたお話がとても印象的です。
ーあなたが息子さんの気持ちまで考えなくて良いのよ。息子さんはお墓の面倒を見るのが
嫌と言っているのかしら。
ーそういうわけでは亡いんですけれども、死んでから、息子に迷惑をかけたくなくて。
先生は続けて言われたそうです。
ー息子さんが嫌だというわけではないのなら、あなた、放っておきなさい。
自分が死んだ後のことまで考えなくても良いのよ。息子さんがもしお墓の世話をするのが
面倒だったら、息子さん自身がそのときに墓じまいをするでしょう。
お墓はね、そこに行ってお詣りすれば、亡くなった人に逢える、その人のことを
思い出せる大切な場所なのよ。息子さんが迷惑かどうかも判らないのに、あなたが
墓じまいをする必要はないわよ。
ーそうですよね。私がいなくなった後のことは、息子に任せれば良いですよね。
女性は先生の話を聞かれ、墓じまいを思いとどまったそうです。
私は、この話を週刊誌だったか、何かの雑誌で読みました。
文中の言葉はそのままではなく、違っているかもしれませんことを
ご了承頂下さいませ。
私が深く心を打たれたのは、先生の
「お墓はね、そこに行ってお詣りすれば、亡くなった人に逢える、その人のことを
思い出せる大切な場所なのよ」
という部分でした。
もちろん、「墓じまい」をされる方、お家にはそれぞれのご事情があり、
やむをえない場合もあるかと思います。
ですが、一度「墓じまい」をしてしまえば、もう「そこに行ってお詣りすれば
亡くなった人に逢える、その人のことを思い出させる大切な場所」は消滅して
しまうのだーという現実があります。
もし、「何となく」とか「周囲がやっているから」という理由で
墓じまいをお考えになっているとしたら、もう一度、お墓にお詣りする
ご先祖様に手を合わせるということの意味を考えて頂ければ
幸いでございます。
末筆になりましたが、私はけして墓じまいに異を唱えているわけではありません。
ご不快になられた方がおられましたら、深くお詫び申し上げます。
合 掌
