
★今日も過去のノートを見ながら、
被害記事の投稿をしてゆきます。
==以下記事になります。==
◆2019年4月25日の日記より
★私自身の未来は、
私自身でどうにもならない、
選択肢が私自身にない、
というのは確実なようだ。
ここで一言つけたし。
もしそうであるにしても、
悲観する必要は全くない。
いつの時代も法則が支配している。
それを覆す事はとても困難、
というよりもそれを無視していては生存できない。
生存しない状態でならそれもありだ。
空気がないと人は生存できない。
しかしそれでも宇宙服を着て酸素を補給すれば、
宇宙空間では生存が可能だ。
しかしそれはとても有限であり、
無限に生存できるわけではない。
そこを突破するには、
何らかの哲学的な価値変換が必要だろうと思う。
私に選択肢がなければ、
時間稼ぎをすればよい話だ。
それにしても永遠はありえない。
人が法則を捻じ曲げる事などできない。
仮にブラックホールを作り出せたとしても、
それで世界が終わりではない。
ずっと世界は続くのだ。
時間が止まるという事はありえない。
ただフィラデルフィア実験の実証もある。
時空間を飛び越えて生命体が生存できる、
という事もありえるようだ。
だとしたら永遠は存在する事となる。
時空の狭間(はざま)に閉じ込められれば、
そこから抜け出す事は困難だろう。
永遠の苦しみか、
あるいは喜びか…。
前者なら耐え難い苦しみがエンドレスに続く無間地獄、
後者なら至福の千年王国である。
いずれにせよそれ(幸か不幸)のみで、
どちらかしかない、
選択肢がない・自らの意思で選択できないというのは、
今と同じかそれ以上に不幸となるから、
せめて自由に選べるようにはしてほしいところだ。
苦しみも悲しみも愉しみも悦びも、
全てあるのが人生だ。
しかしいまだに解らないのは、
何故被害者にそれほどの憎しみを与えられなければならないのか、
その理由が必ずあるはずである。
その理由を私はとても知りたいのだが…。
Y氏の隣人のレビューでも書いたが、
己の幸せを求めるあまり、
かえってその人は不幸になってしまう、
というパターンがとても多いのだ。
それを避けるには、
人の幸せを祈る事だろうと思う。
一言のつもりがこんなふうになってしまった。
==今日はここまでです。
続きは明日以降の記事に書きます。==
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