★今日は、趣を変えました。


私の過去を時系列で振り返ります。
主に病気の症状として見たものです。

==以下記事になります。==

1991年4月(高3)頃から、
クラスメートの視線が気になり始める。

7月頃には近所のおじさんを睨み付けてどやされたり、
周囲の人達に対して不信感を抱くようになった。

近所の出す雑音で受験勉強に集中できないようになり、
クリニックの先生からは精神分裂病と診断され、
東海大学病院の精神科に入院した。

その時はちょうど私が18歳、
大学受験を控えた年であった。
約4か月入院した。

その後一浪して千葉のある大学に入学したが、
周囲とうまく打ち解ける事ができず、
結局3年次生で中退した。

この時に知り合った友人から、
『精神薬はヤク(麻薬)と同じだからやめろ』と言われ、
自己断薬して服薬をやめた。

その後千葉から横浜に戻り、
実家で暮らしながら、
近所のスーパー長崎屋(後にドンキホーテに買収される)の、
青果コーナーで準社員として働く。

この時に宗教や自己啓発セミナーにはまり、
人生において様々な影響を受ける。

海外旅行にも行った。
行き先は台湾とニュージーランド。
(後にシンガポール・インドネシア・香港・タイ)

それから定職にはしばらくは就かず、
専ら派遣社員やアルバイトで凌いだ。

 

1998(平成10)年~2001(平成13)年の、
アルバイト&派遣の具体的な内容は以下の通り
※アルバイト・派遣ともに順不同

★ガードマン(施設・工事・交通整理・旗振り)
★サラ金督促(長期(3ヶ月以上)滞納者の督促)
★テレホンバンキング電話応対(夜中)
★銀行基幹システムの電話応対(金融機関システムのサポート)
★パソコン本体の不具合のサポート(外資系でノルマがきつかった)


2001年頃から日本共産党に入党し、
活動を熱心にしたのが幸いし、
2002年、沖縄へ移住する事となった。

人生初の一人暮らしの地で那覇市役所に入り、
家庭用ゴミ収集の仕事に就くも沖縄独特の文化・習慣に馴染めず、
この時人生で2回目の統合失調症を発症する(29歳)。
(人生で初めて集スト被害を認識した)

那覇へは一年間住んでみたものの、
上記理由で長くは続かず、
父親の単身赴任先である三重の四日市に、
居候として2年ほど住まわしてもらった(2003年~2005年)。

この時はさすがに被害妄想は減ったが、
被害は完全にはなくならず、
しばらくは部屋に閉じこもりっきりの生活となった。

三重の四日市を出る頃(31歳ころ)になると、
調子がかなり回復してきて、
スーパーで派遣の仕事もこなし、
引越しも何度かした。

この2005年だけで、
三重四日市⇒三重松阪⇒大阪豊能と、
一年で3回も引越しをした。


==今日はここまでです。
続きは明日以降の記事に書きます。==

 

 

 

 

 

私が作ったラインのオープンチャットです。

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私の被害初期の頃からの具体的な被害を、時系列でまとめた電子書籍です。

後半に、私なりの被害の所見を述べました。