★今日も過去のノートを見ながら、
被害記事の書きおろし投稿をしてゆきます。

なるべく時系列に綴ってゆきますが、

なにぶん記憶があいまいなもので、
時間や日付が前後する場合もありますので、
あらかじめご了承ください。

==以下記事になります。==

半ば窒息しながら駅へ向かったが、向かう途中で、
恐ろしく多くの工作員と思しき人達から、更なる攻撃を喰らった。
この攻撃は、攻撃された箇所がビリビリ・ジンジンするものだった。

とにかく少しでも違う道に逸れようものなら、
とたんに攻撃を喰らい、かつ窒息攻撃が強烈になるので、
私は一直線に駅に向かうしかなかった。

工作員は手押し車を引いたおばあさんが多かった。
どうやらその手押し車から攻撃が来ているようだった。

駅に着き、命からがら電車に乗り込み、隣の駅まで行った。
そして促されるまま今度はタクシーに乗り込んだ。
早く家に帰りたかった。

そして実家に着いたは良いが、息苦しさは抜けなかった。
しばらく部屋で横になってへたり込んでいた。

夕飯の時に家族から仄めかしを受け、
風呂に入ろうとすると、風呂の入り口に菊の花(仏花)が活けてあったりして、
ゾッとした。

私は家でものんびりとできないと悟り、
ついに実家を出て、今度はお遍路の国、四国に飛ぼうと思った。
どうせ死ぬなら、死者の霊が集うとされる黄泉の国・四国で死のうと思った。

しかし外は真っ暗なのに車が物凄い数でアンカリングしてきて、
私は恐れおののき、再び実家に戻った。

どうせ殺されるなら、病院で殺される方がマシと思い、
私を病院に連れて行ってほしいと父親に懇願し、
父親は私を精神病院に連れて行った。

病院では任意入院となったが、
その後医師により、医療保護入院になってしまった。
これは話が違うと何度も先生や父親に抗議したが、
受け入れてもらえなかった。
病院と父親に謀られた形になった。

入院最初の夜は地獄であった。


==今日はここまでです。
続きは明日以降の記事に書きます。==