過去に私が有料メルマガで配信したものを、
こちらに転載します。

今日は2日分掲載致します。

被害が増し、文章が先鋭化しているように思えます。
表現が抽象的で分かりづらい部分もあるかと思いますが、
そこは適度にスルーしてお読み頂ければ幸いです。

◆◆◆◆以下に記事を転載します◆◆◆◆


★今日は2018年12月11日。
被害記録第201号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


今気づいたのは、
加害者というのは人工知能(AI)の加害者と、
それから私が『オ』と呼んでいる、
いわゆる人の加害者(オペレーター)と、
2種類いるという事だ。

ドライヤーでウィンウィン音を鳴らすのは『オ』、
全身かゆくさせるのも『オ』であろう。
これらは全部手動でできるのだろう。


ただしAIの被害も、
『オ』が最終的にコントロールできるのは変わらないと思う。


要するにすべての判断は、
現場の指示に任されていると見ていいと思う。


もゑこ(moeko20100620)
2018.12.11





★今日は2018年12月12日。
被害記録第202号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


先日事業所のNさんに時間を割いてもらい、
いろいろな話をさせてもらった。


とても有意義な話ができてよかったと思っている。


最後に被害関連の話になったのだが、
彼は虚構世界(パラレルワールド)の話をした。


確かに私たち被害者の住む世界はそうかもしれない。
しかし彼はそのパラレルワールドというのは、
現実とは接点が何もないから、
我々のいる世界とは交わるところがない的な、
結構シビアな世界観を持っていた。


要するに2つの世界に交わりはないが、
並存できるという事を言いたかったのだと思う。


いわば普通の人が住んでいるのが地上の世界だとすると、
今NさんやKさんが一生懸命作り上げているだろう世界はいわば地下世界であり、
むろん地上世界とは隔絶されていて安全は安全なのだが、
地上の世界との接点は何もないという事なのだろう。


私は別に接点が何も無くても何も困る事がないから、
特にその事で気に病んだりはしないのだが、
ここでやはりKさんの事を書くと、
彼女はそれでも決して諦めていない、
という事を感じているのだ。


Kさんが彼と明らかに違うのはそこなのだ。
Nさんはそうした現実を目の当たりにしてきて、
パラレルワールドの世界の住人は、
ほかの世界を知らず交わることも接点もなく、
一生をそこで過ごすと信じているが、
Kさんはそこから更に一歩進んで、
それでもそこから何らかの接点があるはずだと、
そこを諦めずに探っていると思った。


いつも被害を受け続けていていると、
Nさんのような思考に陥るのが必然と思ってしまう。
人はそこから絶望しか見えなくなると、
それしか選択肢がないからと諦めてしまう。


しかしやはり生きている以上、
生かされている以上、
そこから何とかして這い上がる術を見つけて、
何とかして絶望から抜け出す事を考えなくてはならないと思う。
決して希望の光を見失ってはいけない。
そのための地下世界を一生懸命作って下さっているのだろうと思う。


もちろん地下世界は一時凌ぎのためのシェルターに過ぎない。
しかし私がそうした厳しい現実を知るにはまずは、
そこから自分の世界を築き上げてゆくしかないと、
私はまずそこを根城にして捲土重来を期した。
何も知らない私はNさんやKさんを信じて頑張るしかない。
もう他には誰も頼る人がいないのだ。


それを教えてくれたのはKさんだった。
どんなに絶望が支配していても、
絶対に絶望に屈してはいけない、
という事を彼女は確信を持って言っていた。
必ずそこから逆方向へと行かなくてはならないと、
それを信じて生きてゆけば必ず光が見えてくる、
という事を言っていた。


私は真に美しい生き方というものがあると思っていて、
それを最期まで全うする事こそ、
生を与えられた人の使命であると考えている。


そういう意味で私は、
むしろNさんよりもKさんを信じたいと思った。


人は生きている、
生かされている以上、
決して絶望に屈してはならない。


最後に一言だけ付け加えると、
加害者は『ひっかけ』が好きだという事だ。
我々を『ひっかけ』で騙して、
双方を困惑させるのである。


しかしこの『ひっかけ』に双方が屈することなく、
その『ひっかけ』に双方が素直に乗っからずにいると、
加害者は非常に困ってしまう事となる。
これがこの被害における唯一の救いとなるであろう。


もゑこ(moeko20100620)
2018.12.12



◆◆◆以上転載終了◆◆◆◆


★ブログ化するにあたっての所見

そういえば、いつか、加害者と思われるKさんが、
液晶画面が割れているスマホ(iPhone)を、
私に見せてくれた事がある。

普通に使っていてはそのようにはならないと思うのだが、
とにかくそのスマホを彼女は使っていたようだ。

電車の中で鼓動数が160回/分まで上げられたときに、
隣に座った女工作員の手元のスマホを見たら、
やはりKさんのと同じように、画面が割れていた。

タイから帰ってくる途中の電車で、
テレパシーが「あれは加害者だ。人を何人も殺している。」
という人のスマホをのぞき込んだら、
やはりスマホの画面が割れていた。

どうやら加害者は、画面の割れたスマホで、
加害攻撃をしてくる事が伺えるのだ。
なぜ画面が割れたスマホで攻撃してくるのか、
その理由が知りたいと思っている。

さてNさんが、「パラレルワールド」と言っているのは、
別に我々被害者の事をバカにして言っているわけではなく、
むしろ畏敬の念を込めてそのように言っているのだろうと思う。

しかし、我々被害者も、あくまで現実の世の中で暮らしているので、
そのルールには従わなくてはならいのは、一般人と同じであるが、
その世界観が全く相容れず、一般人との接点があまりにもない、
という事が言いたいのだろうと思う。

生きる世界が、一般人と被害者では、全く相容れない、
どこまで行っても接点がない、だけども共存はできる、と。

確か前に、訪問のMさんにも同じ事を言われた気がする。
価値観の共有はできないけど、共感はできる、というような。

すなわち、一般人と被害者は、
立つ土俵が違うので、価値観の共有は難しいが、
相手の価値観を、尊重し合う事はできると。

いまだに医療関係者を始めとした、
一般人の方との接点を探る事は、
我々被害者にとって難儀な事であろうと思われる。

要するに、互いに話が嚙み合わぬまま、
平行線を辿る、という事が言いたいのであろう。

一般の方からしたら、我々被害者はいまだに、
パラレルワールド(向こうの世界)の住人なのだ。