過去に私が有料メルマガで配信したものを、
こちらに転載します。

今日は2日分掲載致します。


◆◆◆◆以下記事を転載します◆◆◆◆


★今日は2018年11月05日。
被害記録第165号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


共有できないところを一生懸命相手と共有しようとしても、
もともと共有できないものだから無駄な事となりやすい。


それよりも少しでも相手と共有できる事を共有した方がよい。


そんな事をこのクリニックとお付き合いさせてもらい、
だんだん教えられてきた。


これは実際どういう事かというと、
私はこの被害の被害者だという事を相手に伝えても、
その事は相手は理解はできるのだが、
実際にそれを共有しあうのはとても難しいという事である。


なぜなら相手は自分とはぜんぜん違う立場にあり、
相手は相手なりの被害への理解・考えがあるわけだが、
それを変えようとしても無理がある。


だったらあえてその事には一切触れず、
もっと別の事を話題にした方がより相手との距離も縮むし、
被害への理解も深まるのだ。


これは相手がこうした事に理解を示してくれるまで、
辛抱強く待つしかない。
あくまでも結論・結果を急いてはいけないのだ。


逆を返せば相手だって、
私に対して『ここをこういう風に理解してほしい』
という意図があると思うのだが、
あえてそこには一切触れず、
黙っている事の方が多いだろうと思える。


あとここで生活していて思うのが、
力づくで相手を押し切ろうとしても無駄であるということだ。


やはり相手が心から納得できるようなやり方で進めたほうが、
相手からの理解もより一層得られやすく、
こちらの望む結果も得られやすいという事だ。


旅人の服を脱がせるのは北風(強制的な力)ではなく、
暖かな陽射し(旅人が自発的に脱ごうとして脱ぐ)である、
という事なのだ。
あくまでも旅人の都合にこちらが合わせるという事なのだ。


本当にその旅人が望んでいる事をお手伝いする事が大事であり、
それを強制的にそういう風に持っていこうとしても、
さらに厚着させてしまうようなむしろ望まない結果となってしまい、
結果を急いだ分、
ひとつやり方を間違えれば、
返ってくる結果が全然違ってくるのだ。


これもこちらのクリニックで、
まさに私が身をもって教えてもらった事のひとつなのだ。


全然被害記録にはなっていないが、
被害を解決する際に、
上記の考えは非常に役に立つ考えだと思い、
こちらに掲載してみた。


7:00 114(脈拍数 立姿)


もゑこ(moeko20100620)
2018.11.05




★今日は2018年11月06日。
被害記録第166号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


今まで相手を信じては裏切られる、
という事をずっと繰り返していたが、
これは集団ストーカーによるところがとても大きい。


相手はまさかここまで私のことを知るまい、
と思っているとそのまさかだったりしたのだ。
ちょこっちょこっとそうした気に障る言葉なりを、
微妙に会話に織り交ぜてくる。
これはわざとだからすぐにそれと解るのだ。


これは被害者が相手から裏切られる際に被る、
基本的・典型的な被害のパターンであろう。


しかしここに来て逆にそれを良い方のみに取られたりとか、
ちょっと信じられない事がずっと起きていて、
逆に穿った見方をしていた自分を恥じたりした事は、
実は数限りない。


要するに、
現実の私の素行の悪い部分については、
目を瞑っていてくれているという事が結構あるという事だ。


これが通常だと『○○(私の名ではないが恐らくまぁ…私のことだろう)は実は、
影でこんな事を言っている(裏でしている)。』
という事を平気で言われてしまい、
がっくりと肩を落とすなんていう事があった。


もちろんそれは確かに自分がしたり考えたりした事は確かだ。
しかしなぜあえてそれを私の目の前で、
私にこれ聞こえよがしに言われなくてはならないのか、
ただのほのめかしとはいえそれが非常に心外であった。


しかしあまりにそちらの集団ストーカー関連ばかりに目を奪われていると、
かえって自分が痛い思いをするという事をこちらで味わった。


人を心から信じるという事を被害者は忘れてしまっていると思う。
だから私達はなるべく本来の人のあり方について、
もう一度冷静な視点を持つ事の大事さを、
根本的に問い直して考えてみた方が良いだろうと思う。


そういえば、
作業をし始めてから被害が酷くなり始めた、
という事を作業所のMさん(訪問看護師のMさんでない。ご注意を。)に相談したら、
それは私がポスティングをし始めたりなど、
環境が急に変わったからだという事を言われた。


もゑこ(moeko20100620)
2018.11.06



◆◆◆以上転載終了◆◆◆◆


★ブログ化するにあたっての所見

共有できないものを共有しようとしても無駄である、
という事を言っている。

だとすると、普通一般人の人達に、
この被害の事を言って理解してもらおうというのは、
ちょっと無駄な労力になるから、
同じ被害者同士で被害を少しでも理解し合い、
共有できるところは共有し合えばよい、
という事になる。

実際の所、普通の一般人の方は、この被害について、
理解を示そうとはしてくれるが、
被害者ほど理解できないというのが本当の所である。

無理やり、力づく、というのは無駄な労力となる、
という事を言っている。

だとすると、無理やり分かってもらおうとしても、
相手もこちらも困ってしまうので、
もちろん無理やり力づくでの理解は難しい。

それよりも時間が経てば必ず被害の事を理解してもらえる、
それを信じた方が良い。

仄めかしについて、言及している。

これによってかなりの自分への精神的ダメージとなり、
その後の人間関係がかなりぎくしゃくする。
相手は至って涼しい顔をしているのに対し、
自分は「こんな事を言われてしまった。また言われるのではないか?」
との恐怖感が拭えず、常に相手に一歩引く姿勢になる。

これは自分にとっては非常に痛い事である。
ありとあらゆるところで相手に道を譲るというか、
人間関係で常にこちらが劣勢に立たされるのである。

これはどう考えても理不尽極まりない事であるが、
ほのめかし攻撃をされるとそれだけで、
気が滅入ってしまうのだ。

つい最近まで私は、ほのめかし恐怖症であった。
そのせいで私は、人が大勢の所へは行きにくかった。