過去に私が有料メルマガで配信したものを、
こちらに転載します。
◆◆◆◆以下記事を転載します◆◆◆◆
★今日は2018年10月18日。
被害記録第148号となります。
◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆
昨日の続き。
昨日学会の帰りに父親が、
『一生をずっと障害者施設で過ごすというのはどうか?』
と言ってきた。
これはすなわち、
私の病気の症状が治る見込みがもうないから、
こういう表現になったのだろうと思われる。
しかしこれは言い換えれば、
私を姥捨て山か何かに捨てる、
というのと同じニュアンスとして受け取れる。
要するにもう手が付けられないから、
父親を精神的に安心させるためにも、
ぜひともおとなしく施設に入っていてほしい、
というホンネが吐露したのだろうと思う。
過去に私の祖母が骨折をしてしまって夜眠れなくなり、
夜中中わめくので母が付き添うようになり、
これでは夜眠れないし身体も心も持たないという事で、
父親の希望で祖母は老人介護施設に入れらた。
それと同じ事を再度私にしようとしているのだ。
私はもう独立しているので両親には何も迷惑はかけていないのだ。
それでもこうした事を言うというのは勝手だなと思う。
父親からしたら私がここを出てどこかに住む、
というのは逆に考えられないのだろう。
たまたま今私を受け入れてくれている施設が、
善意で私を面倒見てくれているが、
本来ならばもういい加減出て行ってほしいところだろう。
そういうところはこちらのクリニックの懐の深さを感じる。
もゑこ(moeko20100620)
2018.10.18
★今日は2018年10月19日。
被害記録第149号となります。
◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆
自分自身の人生の不幸の源泉が、
まさか両親の育て方にあったなんて…
などとは気づかない人の方が多いかもしれない。
自分自身の幸・不幸など、
自分以外に誰が決められるというのだ…?
と思うのが普通だろう。
しかし『毒親』問題を知れば知るほど、
このアプローチ(両親の育て方に問題があった)
でしか人は幸せにはなれないと感じている。
これは極論でも何でもない。
親の影響力というのはその子の人生の最期まで支配できるくらいに、
予想外に大きいのだ。
もちろん親のおかげで本当に不幸な人生にならずにすんだ、
という見方もできるが、
それはとてもお人好しな意見だろうと思う。
そういう人は親の毒性がどれほどのものかを、
まだ本当には知らないのだろう。
人生の不幸の源泉がまさに、
両親の育て方にあったなどという考えは、
そもそも儒教や道徳の教えに反するがゆえに、
アジアに生まれてきた我々にはなじみが薄いだろう。
儒教や道徳では、
親や兄弟や先生や師を敬いなさい、
つつましくありなさい、
品性や理性を高く持ちなさい、
立派でありなさいetc...と教える。
これらのあり方は確かに大事だろうが、
何か一番大事なものをおろそかにしていると思う。
人への愛情やそれに対する感謝の気持ちや、
人としての基本的なあり方が出来て初めて、
上記のような立派なあり方が、
自然と醸し出されてくるのではないだろうか。
儒教や道徳の示す生き方・あり方というのは、
結果的にそうなるのが良いという帰結点のみを示しているのであり、
そこに至るまでの具体的な道筋を示してくれているわけではない。
これは人により置かれている状況や立場が違い、
100人いれば100通りのやり方があるから、
総論的にこれが一番正しいやり方だとは言えないからだ。
だから何も知らない人が最初から意識して、
そのような立派な生き方をしてみても、
それに人間性が着いてゆかなければ、
方向性は正しくても実態(実体験)が伴っていないので、
やはり苦しい人生は変わらぬままだと思う。
ちなみに私は大学でモラルサイエンス(道徳科学)というのを学び、
それを実践しようとして頑張ったのだが、
結局徒労に終わってしまったという苦い経験がある。
これなどはまさに上記のような良い例だと思っている。
理性(精神)と本能(身体)のバランスのとり方が重要なのであり、
それを今まで正しく効果的に発揮できなかったのは、
まさに両親から今までそうした事を正しく効果的に教えられてこなかった
(むしろそうしたものを一切無視して斬り捨てられて育てられてきた)
せいであると思うのだ。
しかしこれは親のせいではなく、
親がこうした事を正しく効果的に子に教えてこなかった、
『教え方(育て方)に問題があった。』
という事である。
親が問題だったというよりも、
親の育て方・基本的なあり方に問題があったから、
子が今のように不幸になってしまったのであり、
だから子は両親を責めてもしょうがないのだ。
むしろその、
親そのものとその育て方・あり方を、
きっちりと切り離して考えられるようになれば、
きっと子はその後の人生が報われるだろうと思う。
毒親問題というのは、
親そのものが悪かったわけではなく、
親の育て方・あり方が悪かったという事実に気付く、
という事なのだろうと思っている。
そうした毒親自身にも、
さらにその毒親(祖父・祖母)がいたのであり、
そうした毒親問題は親から子へ、
子から孫へとそっくりそのまま引き継がれてゆくのだが、
どこかでそれ(自分にとってそれが毒親だったという見方)に気づき、
問題を正すためにその悪しき問題を子孫にこれ以上引き継がせない、
という気付きのプロセスが必要であろうと思う。
問題は誰それが悪いという事ではなく、
どこかでその事実に気づいて、
問題点を正しく直視して、
自分自身に今までずっと刷り込まれてきた誤った認識を、
正してゆく姿勢が大事なのだと思う。
そうする事により、
問題のありか・事実を正しく捉えることが出来てきて、
何が自分をここまで不幸にしてきたかが、
実際にリアルな視点で捉える事が出来、
それを誰かに同じような事をしない、
という選択が出来るようになる。
…実はこの毒親問題というのは、
集団ストーカー問題に大きく関わっているように思っている。
集団ストーカー問題なしでは、
この毒親問題も存在しえないと思うのだ。
これらの問題の関わりを解明するのは、
とても意義深い事だろうと思うので、
これをこれから少しずつ、
解き明かしてゆきたいと思っている。
もゑこ(moeko20100620)
2018.10.19
◆◆◆以上転載終了◆◆◆◆
★ブログ化するにあたっての所見
冒頭の一文からも分かる通り、
父親は私に、おとなしく施設に一生、
入っていてほしい、と懇願したのであった。
まるで厄介者を檻に閉じ込めておくような、
そんなニュアンスが父親の言葉からは感じとれる。
とにかく私の父親というのは、
そういう人間なのだ。
毒親問題について触れている。
毒親問題は、集スト問題にも直結している、
と結論づけている。
毒親問題も、実は集スト問題並みに根が深い。
しかも両者の根本には同じ闇が横たわっている。
世代から世代へと脈々と受け継がれる、
負(悪)の連鎖である。
この負(悪)の連鎖があるために、
なかなかこの問題は解決が難しい。
加害者や親がサイコパス的気質を持つと、
被害者や子供は苦労する。
いつまでも攻撃が止まないからだ。
集ストと毒親の共通点は、
情け容赦のなさである。
情け容赦なく攻撃してくる。
相手の事など何も考えていない。
あとは人権無視の対応をされるのも特徴である。
それから相手が悪いのに、
逆にこちらが悪い事をしているかのように言われるのも特徴である。
こちらが下手に出ると、
逆に高圧的な態度になったりする。
どこまでもしつこく付いてきたりする。

