過去に私が有料メルマガで配信したものを、
こちらに転載します。


◆◆◆◆以下記事を転載します◆◆◆◆


★今日は2018年10月17日。
被害記録第147号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


今まで舞浜まで外出していた。
父親と二人でクリニック主催の学会に参加していた。


行き帰りで書いたメモを書き残しておく。


新松戸 103回/分
相手には自分の心の内がなぜか伝わってしまい、
自分には相手の心が伝わってこないのはおかしいと、
ずっと以前(恐らく中学生時代くらい)から思っていた。


最近になってこれが実は、
集団ストーカーが原因であったという事が理解できた。


西船橋 103回/分
いつもよりも低い。
まるで魔法でもかかっているようだ。


舞浜 98回/分
その後 83回/分
舞浜 103回/分


今日の学会で、
先回りすることについての話があった。


そして改めて父親の事を考えていた。


この人はあまりにも先回りしすぎてしまうため、
かえってそれが子供にとってどのような影響を及ぼすのか、
殆ど考えぬまま独断専行してやりすぎてしまうきらいがある。


そして自分のなした事で子供は安泰で幸せなんだと、
勝手に勘違いしてしまって安心しきっている。


これは良い影響よりも弊害の方が大きい。
かえって何もしない方が、
子供である私にとってはよほど良いと思われる。


そしてそれをそのまま伝えると、
『仮にも親に対してそれは何だ!!』
『もう勝手にしろ!!』
となる。
とにかく怒ってしまって話にならないのだ。


こういう勝手な父親に育てられてしまったがゆえに、
私はずっと不幸な運命を彼とともに背負う事になってしまった。


一番最悪なのが、
周囲がそれを盲目的に勧めるという事だ。


父親の言うことなんだから間違いない、
子であるあなたの幸せだけを考えている、
だから彼の言うとおり素直に従いなさいというわけだ。
少なくとも私の祖母からは、
ずっとそう言い聞かされて育てられてきた。


そして父親もそれがわが子である私にとって、
一番幸せな選択である、
と完全に勘違いをしているのだ。


そういう親に育てられてしまった子供はとても不幸である。
何一つ親から自立した考えを持つ事を許されず、
盲目的に従うように育てられてしまっているから、
いまさらそれを覆す事は困難を極める。


そういう盲目的に相手に服従する事を、
奴隷とでも呼べば良いのだろうか。

子供は親の奴隷なんかではないのに…。


手紙や電話口では『今まで無理やり従わせてしまって、
辛い思いをさせてしまってごめん。』
と言いながらも、
いざ私と相対すると、
その言葉が完全に吹き飛んでしまうのだ。


こういうのを勝手な親と言うのだろう。
子供のためとさも善意を装っているために、
否定をする事は困難を極める。


押し付けられた善意が一番タチが悪い。
体裁が善である為に誰も異論を唱えようとはせず、
善意だからこちらも無碍に否定できない。


この家庭がさらにタチが悪いのが、
父親だけではなく母親までもがこれに加勢する事だ。


本来ならばこれを傍らで見ていて、
母親が父親をけん制し、
いなす役割があると思うのだが、
そうはならないのだ。


母親も一緒になってこれに加わってしまうから、
余計にこちらが劣勢に立たされてしまい、
反論の余地がほぼなくなってしまうのだ。
2対1だからなおタチが悪いのだ。


もゑこ(moeko20100620)
2018.10.17



◆◆◆以上転載終了◆◆◆◆


★ブログ化するにあたっての所見


今日は、父親について書こうと思う。

毒親という言葉があるが、
父親はこの言葉にわりと一致する。

とにかく「子供のため」と先回りしすぎてしまい、
それがさも「本当に子どものためになっている」と勘違いしているのが、
この父親の一連の言動である。

表面上は子供のためと言いながら、
実は自分の都合のためにそうしているのが分かる。
それは視点が低い子供には見えない事が多い。
私が大人になってから見えてきた事が多い。

新松戸 103回/分
→これは、新松戸駅での一分間の、心臓の鼓動回数を示している。
今後、この表示が増えると思う。
ご了承願いたい。

続きだが、
このような大人に育てられた子供は、
まず自分自身の事を優先する、
エゴイスティックな大人になりがちである。
自分を見ていると、
とてもエゴイスティックだな…と感じる事がある。

相手優先の大人に育てられた子供は、
相手優先の人になるかとは思う。

日本は他のアジアの国々と同じで、
儒教を主体とした道徳観がとても強い。
儒教ではまず子は親を敬えとの教えがあり、
それにより子供は盲目的に親の言う事に、
従わされやすい。
これでは、いつまでも自立した大人になる事は、
できないだろう。

私は母親が2年前に亡くなって、
父親が一人きりになったとき、
ようやく父親と一対一で話す事ができるようになった、
と感じている。