過去に私が有料メルマガで配信したものを、
こちらに転載します。


今回は2回分掲載致します。


◆◆◆◆以下記事を転載します◆◆◆◆


★今日は2018年10月1日。
被害記録第131号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


このキチガイじみた工作員どもは、
完全に頭が逝かれてしまっている。


しかし彼奴等を責めても何も収穫がない。
むしろイライラするだけ無駄である。


この基地外じみた工作員は、
世界各地でどこへ行ってもわんさか湧いてくるらしい。
これは洗脳の賜物であろう。


こうした基地外じみた発想は、
まるでバイオハザードのようだ。
あちこちから湧きまくるゾンビのようだからである。


加害者はよほどこうしたSFホラーやゲームが大好きな、
キチガイオタクであろう。


それにしてもなぜこのような、
基地外じみた事をわざわざやってくるのであろうか?
もっと違う発想はなかったのであろうか?
被害者は殊更に無駄な労力を強いられるだけで、
何の生産的なメリットも齎さない。


この加害者の意図とはいったいなんだろうか?


★世の中があまりにも平和すぎるのがおかしい。
皆が何か一番大切なことを、
完全に忘れ去っているようで、
誰一人としてそれに気付いていない。


被害者に協力しようとする人が皆無なのも気になる。
マスゴミとケーサツがグルなのは昔からだが、
これで良いと本気で思っている人は恐らく一人もいない。
だが誰一人として声を上げようとしない。


まず世の中の社会問題の根本原因を探るには、
被害者の救済からやるべきなのは明白なのに、
誰もそれについては口を閉ざしてしまう。


役所職員も議員も、
みんなが『これはどうなの?!』
『これっていくらなんでも間違っているんじゃないか』
と思いながら仕事をしていなければおかしい。
実際そうなっているのだろうか?
多分そうなっていない。
なぜか世の中が平静なままなのだ。


映画もアニメもゲームもニュースも、
相変わらず平静を装っている。
まずこの不可解な被害をネタにしなければならないはずなのに、
むしろそれだけを器用に避けるかのようにして、
そこには一切触れられない。
被害は完全にタブー視されている。


もゑこ(moeko20100620)
2018.10.1





★今日は2018年10月2日。
被害記録第132号となります。


◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆


観たい映画がある。
しかしそのDVDを観出すと、
とたんに邪念が生まれてきて、
観るのを邪魔される。


登場人物が必ず現実の周囲の誰かとダブるようにされる。
そしてそれがしつこくいつまでもフラッシュバックしてくる。
これではまともに集中して観れない。


通常何の脈絡もない人だ。
この人と映画の登場人物に何の関係もない。
無理やり結び付けられてしまっているような感じだ。


たとえば登場人物が魅力的で美人だったりすると、
私の認識のなかでわりかしそれに近い人が浮かんでくる。
しかしそれは私のなかでの認識であり、
その登場人物と殆ど何の脈絡も存在しない。
パッと一瞬だけ思いついただけである。
それがずっと認識として定着してしまうほどのインパクトはないはずだ。


そのこじつけられた認識が、
いつまでもずっと続いてきてしまう。
パッと思い浮かんだのは事実だが、
それがしつこくずっといつまでも定着するのはおかしい。


通常今までだと、
私自身がそうした『こじつけ』られた認識を、
いつまでも持ち続けてしまっている、
と思っていたのだが、
どうも被害を経験し続けるていると、
そうではないという事が解ってくる。
要は映画を観るのを中断せざるをえないまでにそうなってしまう、
その異常性に私は気付いたという事である。


そしてこういう事を周囲に漏らすと、
通常では精神病のように思われるのがオチだ。
しかしこれもこのように誘導されているという事が解ってくる。
周囲の人達は見事に洗脳されてしまっているらしい。


…というかここまで読み進めれば、
私が何を言わんとしているかが解るはずだ。


『それを証明してみせろ』
というようなセリフを吐くという事は、
自分が洗脳されている事を認めたくない、
という心理によるものである事は明白である。
もしそうでないというのならば、
それを解り易く証明してみせよ。


自分が洗脳されていない証明がもし可能であるならば、
私も周囲が完全に洗脳されていない事を素直に認められるかもしれない。
ただ『かもしれない』というだけで、
私はそれを素直に認められないかもしれないという事だ。
こういうのを『屁理屈』というのであろうか?


もゑこ(moeko20100620)
2018.10.2



◆◆◆以上転載終了◆◆◆◆


★ブログ化するにあたっての所見


被害がタブー視されている事に関して。
これは、やはり、皆が知らないうちに、
洗脳されているとしか思えない。

誰もこの事について、口を閉ざしたままで、
ハッキリと問題提起しない。
むしろ被害者の方が単独で被害と戦っていて、
それに誰も協力しない、という構図である。

この件では一致団結する必要があるのだが、
数ある被害者団体を見渡しても、
例えば工作員を拉致して真相を吐かせるなど、
手荒だが数人でやればすぐに済みそうな事を、
誰もやろうとはしないのではないか?

とうよりも、この件は情報が錯綜しすぎていて、
訳が分からなくなっている気がしている。
恐らく、どの情報を見ても、
この件の真実に辿り着いた被害者の方は、
いらっしゃらないのではないか?と思える。

度々浮かんでくる邪念により、
観たい映画がまともに観れない、
という状況について書いている。

これは、映画を観ている時や、
ゲームをプレイしている時、などに起きた。

あるいはまた、駅など雑踏の中を歩いていると、
誰かに似た人がいると、
とたんにその人と入れ替わってしまった。

もちろん、イメージ上で、という事である。
これは不思議としか言いようがない。


逆にこんな事もあった。
嫌に誰かに似ている人がいるな…
と思ったら、顔は全然似ていなくて、
服装と背格好だけがそっくりな人がいた。
これは一体…と思ってしまった。