過去私が有料メルマガで配信したものを、
こちらに転載します。
今回はとても長いです。
内容もとてもヘビーです。
心して読まれて下さい。
◆◆◆◆以下記事を転載します◆◆◆◆
今日は2018年6月7日。
被害記録第015号となります。
◆◆◆◆以下被害記録となります◆◆◆◆
★自分はとても騙されやすい人間だという事が解っているため、
では簡単に騙されないようにするにはどうすれば良いのか?という事を、
今までずっと追及してきた。
いかにして我々は『世間なるもの』から騙されてきたか、
そのトリックの歴史を世界じゅうのいわゆる『陰謀論』から拾い集めて、
ずっと勉強してきた。
その過程で、
我われ大人から子供までが、
いかに騙されやすい存在であるのかを、
大いに知る事となった。
一番の詐欺師の代表格はなんといっても警察だ。
警察官が誠実で正直ものだとずっと思ってきた人も、
あるいはそう『思いたい』人もたくさんいるはずだが、
それは完全に幻想であると思わざる得ない。
あるジャーナリストは、
『嘘つきは警察官の始まり』である、
と言い切ったがまさに…であろう。
色々勉強すれば解ってくるが、
警察に携わる人間は基本的に正直者では勤まらない。
汚職や悪事をまるで何事もなかったかのように、
涼しい顔で処理できる人間こそが、
まさに警察から求められる人間像だ。
汚職や不正は徹底的に暴かれるべきだと考えてしまう人は、
警察では不要な人たちなのだ。
たとえ事実を知ってしまっても、
決してそれをそれ以上は追求しないという人こそが、
警察にとってはもっともふさわしい人間なのだ。
警察官は100%みな嘘つきだと思って間違いない。
そのままの事実をありのまましゃべってしまう事が、
いかに『愚か者のする事か』という事を、
まずみっちりとかつ完全に教え込まされる。
そうでないと秘密(事実)をベラベラとしゃべる事は、
組織の一角を崩す事に繋がるからだ。
もちろん警察自身が、
正直に事実を伝える事を、
組織の一角を崩すなどとは教えないだろう。
それがいかに愚かな事かという事だけを教えるはずだ。
警察とはそういう組織であると、
まず心に留めるべきだ。
私はこの被害に遭う前は、
警察という組織の汚点については色々勉強してきたつもりだったが、
それがいかに甘かったかという事を、
被害を経験するにあたり目の当たりにする事となった。
まず警察というのは、
差し迫った事であるにもかかわらず、
何か事が起こらない限りは民事不介入原則といって、
全く取り合ってはくれない。
では何かが起こったらどうするのか?
それでは遅すぎるではないか?
事後処理(死因確認や身元特定)はきっちりできても、
それを未然に防ぐ事をせずに何が治安を守る護り人たりえるか?
多くの警察官諸君は、
それを良く解っていながら、
組織の手綱に雁字搦めにされて、
全く自由な事ができない。
組織人たるサラリーマンの悲しい性であろうか。
警察に携わるものとしてまず心得るべきは、
人の命を守るという事である。
それについては今の警察は一応、
建前上はそう言っている。
しかし実際どうであろうか?
訳ありな人間ややっかいな事から少しでも距離を置こうとするのは、
これは人として至極当然の心理であり、
誰もがそれを咎めないだろう。
しかしそれをするのが庶民ではなく警察だったらどうであろう?
いったい誰がそういうやっかいな事を引き受けるだろう。
そのためにあるのが警察ではなかろうか?
まず先にそうした事から逃げ出していては意味がない。
今の警察はそういう意味ではとても逃げ腰であり、
もし自分の命が惜しければ警察にだけは頼るべきではない。
奴等は何もしてはくれないからだ。
いったい奴等がなんのためにこの世に存在しているのかが、
私には良く解らない。
誰かこれを私に解り易く教えてほしいものである。
不正や汚職を追及するというのもそうだが、
それが事務処理的というか、
まるで正義でも何でもないような感じであり、
ただやらされてやっているような、
やっつけ的な仕事ではしょうがない。
警察は組織である以上、
組織を構成する人間に問われる素質なり品格というものがあるべきだと思うが、
どうも警察官はじめ警察に携わる人間はみな、
一人一人が都合よく組織を隠れ蓑にしており、
悪事は全て組織のせいだと信じ込んでしまっている。
全部組織のせいにしてしまって、
自分は何も悪くはないんだと言い逃れができる。
これでは組織はいつまで経っても良くはならないだろう。
こうした退廃的な風潮というものは、
警察が過去からずっと引きずってきたものであり、
今になってそれを誰かが覆せるかといえばそれは無理である。
警察刷新を掲げて色々な取り組みがなされてはいるが、
肝心のそれを構成する組員達がこういう風では無理だ。
組員といえばむしろヤクザの方がまともだとも思える。
奴等には『義理』がある。
不義理を働く事を目の敵にする風潮がヤクザにはあると訊く。
どこまでが本当なのか良く解らないが、
少なくとも事務処理を最優先させる今の警察には、
義理も不義理もあったもんじゃないだろう。
これ(事務処理的な組織)をいい意味で捕らえたとしても、
警察には評価できるところが一切見当たらない。
ウソをつくという行為はとても原始的な事であり、
子供でも親に隠し事をするために平気でウソをつく。
しかしここで言いたいウソというのはそういう事ではない。
警察のつくウソというのは、
事実がバレてしまうと自分が怒られるというような、
単純な理由からではなく、
警察の不正や悪を隠蔽するためにつくものだ。
警察のウソとは組織で何かを隠すためにつくものであり、
子供と違うところは悪意があるかどうかである。
不倫や浮気を大の大人が相方に黙っているのはこれは、
子供のウソと基本的に同じレベルである。
大人でも自分の立場を維持せんがためのものである。
相手が自分に抱いている幻想を信じていてもらうためのものである。
子供はただ本当の事を言うと自らの立場が悪くなるからという理由からだが、
警察のつくウソは自らの立場が悪くならないようにというよりは、
相手を意図的に騙す意図があるという所が根本的に違う。
子供はそこまで考えてウソはつかないだろう。
今まで私は社会の辛酸を散々舐めさせられて生きてきた。
その都度嫌な思いもしたが、
おかげで人間の根底にある性(さが)が、
うっすらと見えてきたような気がする。
偉そうな事を偉そうに、
達観した賢者のような解ったような口の訊き方をする時もあるが、
それでも人の社会の真実のありようは変わらずあり、
それは恐らく人が今現状の社会を構成し続けようとする限り、
決して変わることはないだろうと思える。
社会は自らが変わることを望んでいないと言える。
だからただ座視して失望していては、
今生の意味がない。
だから常にそうしたものと戦い続けなくてはならない、
というのが私見だ。
それが今生を生きる人間に課せられた最大、
かつ唯一の使命なのだと思って、
私はずっと戦い続けている。
生きることとはすなわち戦いである。
私は常にそう思いながら、
今までずっと戦いながら生き続けてきた。
途中で息切れすればしばし佇んで一時休止すれば、
敵はそこまでやってはこなかった。
そういう遣り取りの駆け引きみたいな事も経験した。
もゑこ(moeko20100620)
2018.06.07
◆◆◆◆以上転載終了◆◆◆◆
★ブログ化するにあたっての所見
今回は警察に関しての私見を綴った記事である。
誠にヘビーかつ長大な内容となってしまった。
ここまで読まれてどうも有難うございます。
警察について今思う事、
それは彼らが殆ど我々被害者の役には立ってくれない、
という事である。
厄介な事からは完全に身を引いている節がある。
敵の悪事を揉み消したり隠蔽したりする事に関しては知恵が回り、
まるで「正義の味方」がかたなしとなるような事ばかりするのが、
今現状の警察で、とても我々の味方などではない。
もしこの件で警察が本腰を入れて立ち向かうならば、
この件は完全に解決するのだが、そうはならない所に、
この問題の根深さがあると思っている。
それでなくてもおまわりは、交通の面でも、
嫌がらせばかりするし(無駄な切符切り)、
街を歩いていても、職質などをして、
善良な市民を警察署に引っ張って行ったりして、
本当にろくな動きをしないのだ。
こんなろくでもない警察は、
今すぐにでも廃止するべきなのだが、
なかなかどうしてそうはならないところに、
もどかしさがある。
警察は今でも我々市民の正義の味方であり、
治安を守るために御身を削って働いている、
などと本気で思っている方がたがいまだに多くいるのだ。
その幻想を信じて疑わない人が大勢いるせいで、
今の警察はのうのうと存在している。
★参考文献
本当にワルイのは警察 寺澤有
交通違反ウォーズ!(マンガ) 今井亮一
警察官の犯罪白書 宮崎学
警察官の現場 犀川博正
公安警察スパイ養成所 島袋 修
ニッポン非合法地帯 北芝健
上記どれも古い本ばかりですが、
警察の内情を綴る貴重な文献となっています。
ぜひ目を通してみて下さい。