なっくんの記録~ペルテス病との闘い~ | もえかのマイペース日記

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2HOTのもえかです!

今日、2012年3月27日




なっくんの運動制限が解かれました。








なっくんは、とても活発な元気な子でした。






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2009年、年中さん。






膝が痛いと訴える。


近所の整形外科を受診。




膝のレントゲンを撮るが、異常なく、成長痛との診断。






私もパパも、「甘えないでちゃんと歩きなさい」と叱っていました。。。








その後も、足が痛いと訴え続ける。




再度、整形外科を受診。


今度は、股関節と膝のレントゲン。




やはり、異常なし。






痛いと訴え続け、公園で遊んでいてもビッコがひどくなる。。。




心配になり、再度受診。。。






やはり、異常なしで帰される。。。








が。。。








夜になり、医師から自宅に電話が入る。


心配なので、紹介状を書きますから、総合病院で診てもらってください。とのこと。




2009年6月22日  年長さん


熊谷総合病院の西山先生を紹介される。






診察で、なっくんの足を触り、動かしただけですぐに、


「お母さん、これは多分ペルテス病ですよ」


といわれました。




私は、聞いたことのない病名にただ?????


詳しい検査が必要とのことで、すぐにMRIに入りました。




まだ、6歳のなっくんにはMRIでじっとしてることは、とても大変でした。


私が一緒に中に入り、声をかけながら長い検査をがんばりました。






検査の結果はすぐにでました。




ペルテス病






それは、原因は不明。。


何らかの原因で、血流が悪くなることにより、股関節の骨頭が壊死してしまう病気。


元気な男の子がかかりやすい病気。そんな残酷な病気。


その時、なっくんは初期の段階で、壊死が始まったばかりの状態でした。






これから、だんだん壊死がすすんで、再生するのだと説明をうけました。




説明を受けながら、涙がとまらなくて、先生にも看護婦さんにも励まされてしまうし、一番辛いはずのなっくんを不安にさせてしまったはずなのに、「ママ、なっくんは大丈夫だよ」と逆に励まされてしまいました。






先生のお話によると、




装具をつけて、骨の再生を待つ方法と手術する方法があるが、先生は装具の方法を勧めてくれました。






とりあえず、この日は装具の予約をして、帰宅。


松葉杖を借りて、絶対に歩かないようにと言われました。






帰宅後、パパとペルテス病について調べまくり、何年もかかる装具の治療より、手術のはうが良いのでは。。。


と考え、パパと一緒に受診しました。




先生は、全身麻酔のリスク。


千葉の病院でないと手術ができないこと。


手術のリスクも考えて、やはり装具を勧めてくださいました。




なっくんの場合、初期だったので、どれだけ、壊死がすすむかわかならいし、どれだけ時間がかかるかわからない。そういわれました。








ただ、少なくても、1年半~2年は装具の生活になるだろう。。。と。







まず、幼稚園をどうするか。。。

通えるのか。。。



副園長先生と担任の先生に相談しました。最悪、幼稚園を辞める覚悟をして。

でも、先生方は暖かく受け入れてくださいました。

一緒に頑張っていきましょう!と。本当に有り難くて、嬉しかったです。


幼稚園の生活は、園電車を諦め、毎日送り迎えをしました。装具ができるまでは、松葉杖しかなかったので半日で帰宅。

パパの知り合いの方に車椅子をお借りして、外では車椅子、家と幼稚園では松葉杖の生活が2週間。



装具ができた日。

これでまた歩けると、期待に胸を膨らませていたなっくん。


現実には、思うように歩けない。
痛い。



歩くことが嫌になってしまったなっくん。


「ママ、なっくんこれで幼稚園に行くの?」

と悲しそうに聞くなっくんに、

「大丈夫だよ!かっこいいじゃん!!」としか声がかけられませんでした。




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でも、さすが子供です!日に日に上手に歩けるようになりました。


ただ、幼稚園では、たくさんいろんなことを我慢していました。



なっくんにとって、一番辛かったのが大好きな担任の先生に移動時におんぶをしてもらうことでした。


優しい先生は、鬼ごっこをするときも、いつもおんぶをしてみんなと遊ばせてくれていたようです。


なっくんは、それが申し訳なくて、ある時私に言いました。

「幼稚園に行きたくない」と。



本当は幼稚園が、先生が大好きだったのに。



決まっていた、鼓笛隊の大太鼓もできなくなって。


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スキー教室も遠足も諦めた。でも、いつも笑っていたなっくん。



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この頃は、月に一度の検診。そして、2週間に一度のリハビリテーション。

自宅では、パパと私で毎日リハビリ。

足が固くならないように、可動域を確保してあげることで、再生する骨頭が正しい位置に定まるように。この毎日のリハビリがとても重要でした。




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もえかにとっても、この経験はこれからの人生の糧となったに違いありません。
向けられる視線。

時には口に出して言われた言葉。

その都度、「凪、気にしない!!」と声をかけてくれてました。



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優しさを間違わない優しい子になってほしい。




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なっくんの笑顔。



本当はどれだけ辛かったのか、計り知れない。







2010年4月


小学校入学。







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学校に行くようになり、お友達と遊びたい!!という気持ちが強くなり、いつもお友達に我が家に来てもらっていました。



装具か、松葉杖がないと歩けないので、おうちにお邪魔するのは、床などを傷つけてしまうのでは。。。と不安だったのです。




学校でも、休み時間はみんなについてゆけず、一人でいることが多かったなっくん。

もえかが、いつも様子を見に行って、一緒に居てくれていました。





遊びたい盛り。


やりたいことが、たくさん。


誘惑もたくさん。






2010年12月24日クリスマスイブ一年生




一年半ぶりに装具が外れる!!!





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最後の装具姿。











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ガッツポーズ!!!!!!


ピカピカの笑顔!!!!!







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両足にはいた靴!!!







自分の足で歩くこと!!!







ですが、許可されたのは、


歩く



ことだけ。


走ること、ジャンプはもちろん、運動はダメ。





これが、本当に難しかった。


痛くない。装具もない。


でも、しちゃいけない。。。。






またまた、我慢我慢。。。。。








2011年2月17日



検診。。。

少し再生してる」骨が外側にはみだしてる?

先生は、大丈夫だろうと。。。


運動制限は相変わらず。。。


でも、松葉杖を返却できました!





2011年6月17日


検診。


前回の検診では再生している骨の中心がへこんでしまっていて、せんせいの顔が曇った。

でも、この日のレントゲンでは、中心部分の再生が進み、綺麗な骨頭ができつつありました。



先生からは、体育で思いっきり走ったりする以外は走ってもいいよ!プールも入れるよ!自転車もいいよ!!



なっくんの笑顔が弾けた瞬間でした!!!!!!





家に帰ると、こんなこともできるよ!とスキップしてみたり、無意味に小走りでトイレに行ってみたりw


なんでもないことが、こんなに嬉しい。




今年はひとつでも、みんなと運動会に参加できるといいね。




そう、当たり前の幸せ。

ありふれた日常。


それが、一番の贅沢なのです。





2011年夏休みの終わり。

運動制限解除!!!







2011年9月24日。

二年生の運動会。



2年ぶりに走った!!!!!






この頃、なっくんは、サッカーを習いたくて、先生に自分で聞いていたけど、

結果は、「習うのはだめだよ。サッカーは、普通の子でも怪我がつきものだから、なっくんはもう少し我慢だな」

でした。




なかなか、思うようにやりたいことができず、

涙を浮かべることも多かった。



公園に行っても、球拾いをしていたり、

自分でも、きっとストップをかけていたのだろうね。




そして、今日2012年3月27日。



運動制限全解除。



サッカー習っていいよ!!!

先生が言った!!!




まだ、骨頭の前の部分が一部黒いけれど、あとは時間と共に良くなるだけだと。



飛び上がるほど嬉しかった。

2年9ヶ月前。



目の前が真っ暗になった。

今日という日が想像もできなくて。

泣いてばかりいた。



私は思います。

なっくんだから乗り越えられた。



あの笑顔と明るさが、私たちを救ってくれてたと。

装具をつけていても、なっくんのまわりにはいつもたくさんのお友達がいました。


たくさん、たすけられました。


それを忘れずに、優しい人であれ。






そして、なっくん。ありがとう。

笑っていてくれて。

大丈夫だよって言ってくれて。

乗り越えてくれて。


ママの子に生まれてくれて。



これから、サッカーガンバレ!!!



たくさん走って、たくさん笑って、自分の足でしっかり立って大きくなれ!!!





LOVE,DREAM,HAPPINESS




2012.3.27