
何度行っても慣れないな

緊張と不安でいっぱいになる。
それは、なっくんも同じ。
なっくんがペルテス病だとわかった日を今でも昨日のことのように覚えています。
2009年6月22日
まだ6歳になったばかりの元気いっぱいの小さな男の子。
元気な男の子がかかりやすい病気。
そんな残酷な病気。
あの日を境に、なっくんからは自由が奪われました。
歩いてはいけない。
もちろん、走ることも。
泣いてばかりいる私になっくんは言いました。
ママ、なっくん、大丈夫だよ?
どんな時も笑顔のなっくん。その笑顔にどれだけ救われたかわからない。
幼稚園の年長さん。やりたかった鼓笛隊の大太鼓をあきらめた。
車椅子でシンバルをやった。
本当は悔しかったにちがいない。
大好きだった幼稚園バスも乗れなくなった。
プールも見学。
一年生。お友達とも外では遊べない。装具をつけていたから、お友達のお家を傷つけてはいけないから、いつもみんなに来てもらっていました。
運動会。1人、テントの中。
私は、そんななっくんを見て、泣かないように堪えるのに必死だった。



地区運動会。ビリでもいいから出たい。そう言ったなっくん。
なんだか誇らしかった。

装具を上手に使いこなし、

松葉杖をつき、車椅子で過ごした。

お友達とサッカーをしてみたくて、もえかと自転車に乗りたくて。
いろんなたくさんの我慢をしてきた。


去年のX'mas、やっと装具が外れて、本当に嬉しくて。やっと自由が戻ってきた!そう思った。
けれど、
運動制限。
歩く以外は全て禁止でした。
痛みもなく、装具が外れて、
走りたい
跳び跳ねたい
スキップしたい
できるのに、してはいけない。
気づくと、走ってたり、
跳び跳ねてたり。
そのたびに、
走っちゃだめ!!!
ジャンプしないで!!!
と怒鳴る。
前回の検診では、再生している骨の中心がへこんでしまっていて、先生の顔が曇った。
昨日もレントゲン写真を見るまでは、何とも言えないと言われてました。
でも、
昨日のレントゲンでは、中心部分も再生が進み、綺麗な骨頭ができつつありました。
先生からは、体育で思いきり走ったりする以外は走っても良いよ!プールも入れるよ!自転車も

なっくんの顔が笑顔で弾けた瞬間でした。
家に帰ると、こんなこともできるよ!とスキップしてみたり。無意味に小走りでトイレまで行ってみたり(笑)
なんでもないことが、こんなに嬉しい。
あとは、早くみんなとサッカーができるといいね。
今年は運動会、1つでもみんなと一緒にできるといいね。
自分の

この痛みも忘れずに、ずっとずっと優しい人であれ!


まだ完治したわけではないけど、
私は思います。
なっくんだったから、乗り越えられた。
この明るさと笑顔が私とパパともえかを救ってくれてたと。
そうでなければ、きっと、ダンスも続けていられなかった。
もえはダンスを頑張ってね!そう言ってくれなければ、きっとやめてたね。
なっくんが泣いてばかりいたら、私は間違いなく、なっくんの側にいることを選んだから。
ありがとう。なっくん。
たくさん、ありがとう。
当たり前の幸せ。
ありふれた日常。
それが、一番の贅沢なのだと私は思う。
もし、このブログを読んでいる人の中に同じ病気の人がいたら、
ペルテス病は必ず治ります!!
一緒に頑張りましょう!