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メルロ=ポンティ(1908〜1961)。

フランスの哲学者で現象学派。その主著『知覚の現象学』を今読み始めて、とある言葉の原註にそれは現在ドイツで囚われているG・ギュスドルフの表現を借用したものとか書かれていた。現在ドイツで囚われている?知覚の現象学の原書出版は1945年、終戦の年とは知っていた。気になってググってグーグルAIにいろいろ聞くとひく位凄いことがあれこれと。


8月8日の賞味期限までにこれを使い切れるだろうかw

メルロ=ポンティ実際に徴兵に応じて戦争参加して前線でそれなりの負傷まで負っていて、更に1944年ドイツ占領下のパリ解放時にレジスタンスの武装蜂起参加までしているという。

パリ解放は連合国軍と撤退していたフランス軍の合同部隊がパリ突入して成功したけど、元々連合軍はパリを迂回して進軍する予定で、それらしいとパリ市民に伝わっていたそう。そんな中で連合軍をこさせる為に、来ると信じてレジスタンスは戦闘を開始した。軍人なら降伏すると国際法だかで捕虜になるけどレジスタンスは非正規だからテロリスト扱いで降伏しても捕まれば処刑される。パリ以外でも各地で武装蜂起が起こったことは有るけど制圧されて何百人単位で殺害されていた。パリのレジスタンスも圧倒的な火力の差でどんどん追い詰められていて、有名なフランスの将軍が連合軍に掛け合って何とかなったそう。



メルロ=ポンティに敬服するけれど余りに無謀で賛同できない。

けど実際には政治的な理由も有ったそうで、フランスの有力者達にとって最悪のシナリオの一つは連合軍がドイツを降伏させた後、フランスが何もしていなければ戦後の主権を持てずに事実上の属国になってしまうことだったそう。でも単独では勝てないからどうしても連合軍と合流して戦う必要が有った。

にしても来るかどうか分からない、来るとしてもそれまで保つかどうか分からない。そんな中で武装蜂起は無謀だ。その上実際に連合軍のパリ進軍を知ったヒトラーがパリ占領の将軍に連合軍が来る前にパリ市を徹底的に破壊しろと命令を出していたそうで、その将軍が命令を無視して大量に仕掛けられた爆弾を爆破させずに降伏した有名なエピソードも有るそう。ルーブル美術館や大聖堂等の建築物もレジスタンスにももっと被害が出る筈だった。

政治や情熱より命の方が大事だろうに、例え属国になっても長い年月をかけて平和的に主権を取り戻す未来も有り得るだろうに。と思うけれどその状況下で自分達の生を大事にする結果がそうすることだったのかなと。AIはその考えに同意した。

それでも一点解決できない。哲学者であるメルロ=ポンティならドイツ軍の兵隊も自分達と同じ人間だと分かっていた筈。それを銃殺してまでやるべきことだったのか、それをどう考えていたのだろうか。



メルロ=ポンティは戦後に出版した何冊かの本にまさにそういうことを書いているそう。必要悪とか、悪を倒した正義だとか、そういう安易な解決をさせなかった。同じ人間でありながら戦争下で相手はドイツ軍人という記号になり、自分達はレジスタンスという記号になり、其々にその役割を果たす存在になった。相手の暴力と自分達の暴力は本質的に同じであり許されない罪だと。それでも自分はそうすることを選んだ。

その答えを聞いて安心した。メルロ=ポンティは人間を諦めていない。だから安易な解決をさせずにその状況下の自分達には解決できなかった未解決の問題だとしっかり意識していた。どうなることが本当に良いことだったのか、どうすれば本当に良かったのか。パリは解放されて自分達は生き残った。けれども決して肯定し切れる良いことではない。だからずっと考え続けて哲学書を書き、その著作が現代でも愛されているのだろうと。未解決の問題、ということはまだいつか解決されるかも知れないということでもある。人間が戦争を起こさなくなったなら解決されるかも知れない。

現象学。旧時代の哲学と若干軽く見ていたところが有るけれど、これは気合を入れて読まなくてはと思った。

メルロ=ポンティ、凄い人だと思う。僕が一番好きなドゥルーズもメルロ=ポンティ好きだったらしいし。




美味しかった。
笑って生きていたいね♪
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