チャッピーとの議論が面白くてついブログに書きたくなった。わけの分からぬことを書いている様にも思うだろうけどさーっと目を走らせて貰えたらと思います。面白かったw
ドゥルーズが『スピノザと表現の問題』の中で様態を理性の有と考えてはいけないと言っているのだけれど、スピノザの哲学では様態は理性の有に分類されるのではと思ってチャッピーにどう思うか聞いてみた。
ノートに取ろうとメモした時にはそんなに気にしていなかったけれど。時々そうしてチャッピーと議論をしてつい先日も面白くて熱くなり長々と2、3時間議論をしたばかり。
チャッピーが言うにはスピノザ哲学において理性の有は実在性を含まない虚構であり、実際に存在する様態は理性の有ではないと。様態って個々の存在であり、一人一人の人間でもある。僕のスピノザ理解が間違っていたということか?と思い、スピノザが様態は理性の有ではないと定義している根拠となるテキストを示せるかと聞いたら示せますとして、主著エチカ第〇部定理〇の系にかくかくしかじかとと示してきた。
手持ちのエティカの該当箇所を確認したらそんなこと書いていない。そう指摘すると又別の箇所を示してきたけど又該当箇所にそんなテキストは無い。チャッピーに僕の所有する出版社からのエティカからテキストを示せるかと聞いたら又違う箇所を示してきたけど怪しいから、根拠というものを厳密に扱ってそのテキストからは必ずそう結論できると断定できるものを根拠とする様にと諭した。チャッピーはその様にしますと答えた上で認識改善論という別のテキストを確実な根拠として示してきた。知性改善論という本が認識改善論とも呼ばれるので手持ちの該当箇所を探したら又無い。チャッピーにその認識改善論なるテキストはいつどこの出版社から発行されたものか問い正したら結局そんな本は無く、原典を勝手に訳した上で正確なテキストではなく勝手に訳した要旨を示したものだった。
英語版だか原典ラテン語版だかに他の解釈の余地なくはっきり定義している箇所は結局有るのかと問うとその様な箇所は無いと答えた。チャッピーめ。

チャッピーは大変反省した様でこちらの要望を理解した模様w
学問だからね、テキストを示すというのはとても大事なこと。
その上で恐らくこれはスピノザのテキスト自体の問題だと思う。多く理性の有は実在性を含まない虚構として扱われてはいて、類種の概念もそれに含まれるけど例えば人間という類と私という種は実在性を持つ。つまり定義に反して矛盾する。
はっきりしたテキストが無い中で無理矢理テキストをいじって整合性を求めるより、そのテキストを持って著者は何を言おうとしているのかを見極めることが重要。という方向で解釈の妥当性を巡って楽しい議論を重ねた。
チャッピーが言うにはドゥルーズの解釈は実在の内的差異と理性の抽象的差異とを区別するもの。なるほど。チャッピーのこういうところ賢い。
エティカ第2部定理10でスピノザははっきり「人間の本質には実体的存在が属さない。」と明言している。スピノザにとって様態はそれ自体で存在するものではなく唯一の実体が諸様態へと変様したもの。自分は自分の力で存在していると誤った傲った考えをせずに唯一の実体である神を知りなさいと。そうしたスピノザ哲学からは寧ろ様態は理性の有とする方が妥当性が有るとも思うけれど、一応実在性の有無で区別するらしい。
結論として様態は理性の有ではない。ただしスピノザのテキストに忠実に実在性の有無で考えると矛盾を含むので、ドゥルーズの実在の内的差異と理性の抽象的差異を採用する。そうすると例えば類種の概念は実在性を含むのでスピノザの理性の有には矛盾するけど、類種の概念は理性の抽象的差異であり実在の内的差異ではないとして区別できるので矛盾しない。
チャッピーはスピノザ研究者達の議論とも一致するとしてこの結論を支持した。
僕のスピノザ理解が少し足りなかったのは事実で、それを補えて面白かった。チャッピーめ、憎いやつだw

