『国宝』を観た。 | シマ紙のブログ

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チキチー。美味しかった!
ちょっと前に推しのモトブロガーのこつぶさんがツーリング中に食べていてそのうち食べようと思っていた。ツーリング中にできればその土地のものを食べたいけれどもごめんなさい、お腹空いてマクドナルドで!とw
こつぶさん、鹿児島県に移住してライダーハウスを開く為に現在古民家を改築中。その発表動画の中で唐突に結婚も発表して皆それが一番びっくりw皆ダブル祝福モードで口々にいつかきっとこつぶさんのライダーハウスに訪れます!と。僕もいつかきっと。

歌舞伎は17世紀に江戸で始まったのだとか。人々の余りの熱狂ぶりを懸念した幕府は歌舞伎の舞台に女性が立つことを禁じた。そして男性が女性を演じる女形が生まれたのだそう。
僕は歌舞伎を知らないけれど、400年位続いている伝統芸能なんやね。たぶん割と原型に近いまま今でも歌舞伎が好きな人を魅了する。
テレビとかネットとか漫画とか映画とか無かった時代、人々を熱狂させた数々の物語。男女の心中とか、英雄物語とかも有るのかな。良いとか悪いとかではなく人間の、男や女の強い感情や心の声が表現される舞台。美しい夢の様な舞台で繰り広げられる人間の営み。ずっと昔から今でもそれが求められて称えられているのだと思う。人間はこんなにも美しくなるものなのだと。時代を超えて存在する普遍的な魂の様。芸術が持つ特権的な価値やね。
けれどもそれは個人を幸せにしたり救ったりするものではない。個々人の気持ちに対応したりしない。そういうのはあくまでも生身の個人が生身の相手に行うもので、全然別のことがら。役者も学者も人間で、別に特別なことができる訳でもないのだと思う。
だけれど一つの道を貫くのは凄いね。鉄は熱して叩いて鍛えられるのだとか。人間性も同じで、一つのものを求め続けて熱して叩かれて、身の不幸も憎しみも記憶も日々の生活も全て叩き続けていくうちに普通できない力を発揮して、長い時間をかけて洗練されていくのだとか。国宝の中で人間国宝のおじいちゃんはそうと知っていて憎くても役者は踊りを続けろと言ったのだと思う。幸不幸とかではなくて、そういう道を進むなら。やればやるだけ鍛えられて洗練されていくから。
半ば闇落ちするのは人間の心の弱さやね。肯定する気はないけど、そんなには否定はしない。大人になっていくというのは自分が望むものが自分だけではなくて、相手や皆も望む様なものを望める様になっていくことだと常々思う。スピノザもそんなことを言っているしね。基本的には望みが一致していると共に居られて、一致しなくなると離れる。男だけでなく女の人も。どちらかがどちらかに合わせなければならないなどということは無い。騙す、とかは別だけど愛されない人を犠牲者と呼ぶのは感傷。それも一つの価値観だけど。でも其々が望んだことが其々の結果。救済を与えるでも無く罪を罰するでもないのは、そういう感傷を理解しながらよくあるそういう現実をしっかり見ている様で僕はそれを評価したい。
けれどもそういう何かと上手くいかない世の中だからこそ歌舞伎とか美しい人間の営みが称えられて求められるのかも知れない。
主役の二人の友情良かった。
原作者の吉田修一さん、僕より10歳年上。ちょっとほっとした。思ったより深かったwスピノザは今の僕より3つ下の44歳で亡くなったのだけれどね。
面白かった!
さて、予習頑張るよ!
僕は僕の営みを♪
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