No Woman, No Cry M | シマ紙のブログ

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https://youtu.be/r8RoUOW8ma0?si=IXmmaH5sAbmIoMad
レゲエのレジェンド、ボブ・マーリーのNo Woman, No Cry ふと思い出した。懐かしい。
二十歳そこそこの頃、ある所のとある日系ラーメン屋さんでバイト生活をしていた。
ダウンタウンの外れの小さな日系の観光地の向かい、広いストリートに沿って建ち並ぶビルの一つに最初の拠点にした長期滞在者向けのチープホテルがあり、その一階にラーメン屋があった。隣近所は何のビルだったか、他にも日系の店が幾つかあった。
起きて観光地の噴水のほとりでぼーっとして、バイトしてたまに近所のメキシカンのバーに行く。5thより南は危ないから行くなと言われていて、雨季が来ないと雨が降らない青空ばかりの狭い世界で生活していた。
ラーメン屋にはディッシュウォッシャーの募集で入ったけれどすぐに調理を教えられてシェフをすることになり、メキシカンでマルティンという同い年のディッシュウォッシャーと2人でディナータイムを担当した。ウェイトレスさんは日本人で昼夜と各1人。
このマルティンという野郎、まあ僕の言うことを聞かない奴だった。
日本人のオーナーシェフからメキシカンはそういうヤツらだから同情なんかしなくていい、Do!と言えばやれ!という命令になるからそれだけ言ってやれば良い。とか言われてはいた。しかしオーナーさんはオーナーさんで例えばAとかBとかC定食のサラダを僕が作って出そうとすると突然何やってんだよ!と頭ごなしに怒って、料理というものは見た目が大事でそんなしょぼいサラダを出すなとガバッとサラダを足してそれを出せと言う。その日からそのサラダのボリュームが基準となる。幾らか日が経ち又サラダを出す時に又突然何やってんだよ!と頭ごなしに怒って、お腹が空いている程料理は美味しくお腹が一杯になる程何を食べても美味しくなくなる、こんなボリュームのサラダを出されたら女の人ならお腹一杯になる!とか言ってガバッとサラダを取ってそれを出せと言い、結局サラダのボリュームが元に戻る。ウェイトレスのお姉様方だけが僕の苦労を分かってくれて大層可愛がってくれる。そういう様なことが多々あってマルティンが僕の言うことを聞かないのも仕方がないと思えた。
常日頃こき使われて1人で皿洗いも殆どの仕込みもさせられて忙しいし、そういう自分の仕事に支障をきたしてオーナーに怒鳴りつけられるリスクを作るより、調理を手伝えという僕の命令を無視するのは分かる。けれども手伝わせないと料理の提供が遅れるし、こちらも仕事として強く言う時は言わないといけない。そんな時マルティンはよくスペイン語でウエボグランデー(卵、大きい。ウドの大木という様な役立たずという意味になるらしい)とか、ペンデホ(直訳するとバカ)とか聞こえる声で言ってくる。
カタコトの英語と日本語とスペイン語でいろいろ言い合っていた。
そんなある日、所帯持ちのマルティンが家族の誰だったかの誕生日なので今日は早目に帰りたいと言ってきた。飲食店なので毎日最後に1時間程は掃除をするけど場合によっては大幅に掃除を省略して終わらせる権限が僕に認められていた。けれども運悪く終わり際に集団客がやって来てマルティンは見るからに態度を悪くして僕の命令で調理を手伝った。店を閉めて掃除の時間、ガスコンロが並ぶ側の壁には金属の板が張ってあり洗剤を混ぜて泡立たせた水をぶっかけて油を拭き取ってから水をぶっかけて洗い流す。そこそこの面積があり時間もかかる。調理器具周りの掃除は僕の担当で、その日洗剤を使わずいきなり水をぶっかけるのを見たマルティンが見るからに嬉しそうな顔をして、トシ!今日、(洗剤は)いらないね!と言い、そうと言ってくれたらオレは怒ったりしなかったのにとかいう様なことを言うので、だから、先ず、お前が僕に、聞け、とカタコトの英語で言ってやった。そして何とか早く掃除を終わらせてマルティンを早く帰してやった。
それからマルティンは僕を信用し始めたらしい。僕の言うことを割と素直に聞く様になったし、僕らコンビのキッチン業務速度もどんどん速くなった。
働き者のメキシカンであるマルティンはランチタイムからディナータイムまで昼休憩1時間を挟んで毎日12時間、週6でディッシュウォッシャーをしていて、流石にキツくなったしでランチかディナーかのどちらかだけにして、空いた時間で別のもっと良い仕事をすると決めたそうだ。そして僕にランチタイムかディナータイムかどちらに残る方が良いかと聞いてきた。
I don't like youと即答してやった。マルティンはOKと肩をすくめてみせたけれど、一呼吸置いて僕はBut I need youと言っておいた。実際仕事のレベルを保つにはマルティンが必要だった。けれどもランチタイムのシェフはメキシカンだし、マルティンの好きな様にすれば良いと思った。
暫くして又ヘイ、トシ!と呼ばれて、面倒臭そうになんだと言うと、I like you,But I don't need youと言われた。可笑しくて思いっきり笑った。そりゃあそうだろうと思った。調理を手伝わせて仕込みや皿洗いやマルティンの仕事が遅れても放っておいてやらせておけとオーナーには言われていたけど、そういう指示は放っておいて僕はちゃんと遅れた分は手伝うし、ちゃんと対等に扱っていた。マルティンからしたらそりゃあ僕みたいなのは好きだろう。けれども何処でどんなにこき使われても元気にやっていくメキシカンのマルティンからすれば必要か必要でないかでは別に僕は要らないのだ。面白かった。とても楽しかった。
結局マルティンはディナータイムに残った。そして熟練のウェイトレスさんが早すぎると悲鳴を上げるほど僕らは息の合ったベストコンビになった。
マルティンとの付き合いは1年と数ヶ月程だったか、ある日マルティンは突然店に来なくなった。割と本当に心配したけど皆が言うにはメキシカンとはそういうものらしい。そして皆の言う通り、暫くして働いた分のお給料を貰いにマルティンはやって来て元気そうに帰っていった。
ペンデーホ!
マルティンと仲良くなった頃、お前は泳げるかと聞かれて泳げると答えると教えてくれと言われ、2人で市民プールに行って泳ぎを教えてやったことがある。
店で話しをした時に家族で海へ遊びにでも行くのかと聞いたら、引くくらいびっくりな答えが返ってきた。
人のことは言えないけれどマルティンもとても多くのメキシカンと同じく不法滞在者。けれどもメキシカンの多くが正月とか特別な日は出ていく分にはスルーされる正規の国境越えをして帰郷し、又いろんなルートで国境を越えて入ってくるのだそうで、マルティンは帰郷して又国境を越える時に一度川を歩いて渡ることになり、足の届かない深みにハマり泳げなくて流されて死にかけたのだとか。だから泳げる様になっておきたいのだそうだった。OK,教えてやるよ。とか澄まして言いつつ、こいつはやっぱり僕の知らないメキシカンなのだと思い知らされた。
あれから四半世紀は経った。今頃何処でどうしていることやら。マルティン、面白い奴だった。きっと何処かで元気に暮らしている様な気がするし、そうあってほしいと思う。
ボブ・マーリー、ラーメン屋さんのオーナーが聴いていたのだった様な気もするけれども、誰に教えて貰ったかまるで覚えていない。けれども確かにこの頃に知ったのだと思う。
No Woman, No Cry、女の人よ、どうか泣かないで。良い歌だ。

はわ♪
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