平城京遷都1300年際に整備された平城宮跡地の朱雀門広場。
年末に奈良の大仏様と阿修羅像を観に東大寺と興福寺に行ってきて、柿の葉寿司食べて、人口約35万人都市の奈良市を観光した。
人口は街の姿形に現れるから面白い。
奈良市は人口約30万人の明石市に近い感じの都市で、栄えている場所はいろいろ有るけど背の高い建物は余り無い感じ。
大昔に日本の中心地として栄えた看板が大きくて、現在では余計に何も無い様なイメージが有るみたい。
東大寺と興福寺メインで観光したけどあちこちで平城京遷都1300年際という文句を目にして、朧気に持ってた遷都の知識と整合しないからいろいろググって調べた。
遷都って都が移るのか、移って来るのか、分からなくなってw
歴史に因ると、大化の改新を経た日本初の都である藤原京から平城京に遷都したのが710年、それから数十年の間にあちこちに遷都して又平城京に戻り、長岡京を経て平安京に移る。
その間の84年間を奈良時代と呼ぶらしい。
遷都とは首都機能をごっそり他所へ移す事だから、元来短期間で何度もする事じゃない。
それにも関わらず遷都が繰り返されたのは、都に起こった歴史に残る事件の多発や疫病等の災いから逃れる為でも有り、寺院の移転を禁じた平安京への遷都は朝廷に迫る仏教寺院の勢力を嫌って都から遠ざける為だと言われる。
天皇家や有力氏族に限った事ではないだろうけど、この時代の政治はとにかく血生臭い。
後継者争い、勢力闘争、政略結婚、○○の乱だの○○の変だのが多発し、理由をこじつけては邪魔な一族を絶やす。
そして都には疫病が蔓延し、朝廷の陰陽師は以前の天皇の祟りだと告げる。
しかし最も気を引いた理由は、もっと都の足元の話しだった。
「あをによし 奈良の都は咲く花の 匂ふがごとく 今盛りなり」という平城京を賛歌する有名な歌が有るそうで、この「あおに」とは「青」と「丹」であり、平城宮や大寺院の伽藍に使われた青緑や朱色の染色の事だそうだ。
この染料には鉛や銅や水銀が使われ、特に仏像群の金メッキには最も毒性の強くなる手法で水銀が大量に使われた。
当時の技術ではこれらの金属から大量の有害物質を発生させ垂れ流し、それが他の都に比べて水捌けの悪い奈良盆地に堆積し、都や寺院群の建設に伴う人口集中と増加の中で重金属中毒による免疫不全を引き起こし、どの都よりも疫病が蔓延し易い環境を作った。
重金属中毒は精神障害を引き起こし、水銀中毒は直接死因になり得、乳幼児には特に危険だった。
当時の人達には鬼に憑かれたと思える様な異常な犯罪が多発しても不思議ではなく、この時代に怨霊や祟りの存在が広く知られる様になる。
結果として都は荒廃してゆき、平城京は短命に終わる。
一念発起して建造した寺院の大伽藍や仏像が平城京を短命にしたのだそうだ。
1300年前の仏像群が今でも現代人の心を打つのは、それらが当時の人々の祈りであり、叫びでもあるからだと。
大変感慨深い話だった。
現在の奈良市の人口は約35万人。
35万人の願いと叫びが今の奈良市の姿を形作っているのだと思う。
奈良時代に繰り返された遷都も、人の願い、生きようとする人の力の現れなのだと僕にはそう思える。
都が京都の平安京に移ってからもいろいろ有った様だけど、末期にはかの平家が台頭してあちこちに恨みを買って源平合戦が勃発、鎌倉幕府が誕生して力を持った為、朝廷が倒幕しようとしたが戦闘集団である武士達に敗北し武家政権が始まり、この時代に中国を支配したモンゴルが日本に攻めて来るが流石に幕府と朝廷が協力して撃退に成功、幕府が内部闘争でごちゃごちゃして何代目かの天皇が再び兵を起こして倒幕に成功し平安京に凱旋するが政治に失敗して朝廷が分裂し、室町幕府が出来て二つの朝廷が其々に天皇を立てて争い、やがて一方が折れて統一され統治するが織田信長が現れて各地を一蹴、豊臣秀吉が日本初の全国統一、徳川家の江戸時代が始まり明治まで265年間続く。
平安京遷都の西暦794年から明治2年に政府が東京に移されるまでの1075年間、平安京は日本の首都であったそうだ。
今現在も続く天皇家は世界で一番長く少なくとも1500年の歴史を持つ皇族で、平成の天皇陛下は125代目の天皇、平和そうな現在の天皇がかつての天皇家の末裔だという事に驚く。
天皇家は神様である天照大神の末裔という事になっていて、初代天皇は紀元前660年頃に即位したともされているが、代10番目の天皇までは神話上の人物で実在しないらしい。
存在が確かなのは西暦507年に即位した26代目の天皇からだそうだ。
奈良時代が始まる平城京の遷都は西暦710年、その前の歴史区分は大化の改新が有り聖徳太子が居た飛鳥時代。
大化の改新とはヤマト王権とそれに連合する有力な氏族とか、そういった各地の氏族が其々の国を其々に治める体制から、天皇を立てた朝廷により中国を習った律令制度による中央政権を行う大きな国造りを目指した改革。
それ以前には古墳時代を挟んで弥生時代。
弥生時代には後に天皇制を始めるヤマト王権とは別にかの邪馬台国が存在したが、何かと不明で何故滅んだのか、ヤマト政権と争いが有ったのか無かったのかも不明。
その前は縄文時代で、まだ稲作も始まっていないけど土偶とかは作っていたみたい。
縄文時代は一万年以上前から紀元前4〜5世紀頃までで弥生時代が紀元前5世紀頃から西暦元年を挟んで紀元3世紀頃までとされる。
それ以前となると石器時代とかで、日本列島がまだ大陸から分かれていない原始的な世界、マンモスを狩ってたイメージが有る。
日本語文字の発見された最古のものが古墳から出土された鉄剣に刻まれた古くても5世紀頃のものだそうで、まだ文字の無い古墳時代以前の事はとかくよく分からないらしい。
歴史のスペクタクルに圧倒される。
ある意味お正月らしくずっと歴史をネットで漁っていたらどうしても平城京跡が観たくなって、年明けにもう一度奈良へ行った。
当時の規模をそのまま再現した朱雀門広場は壮観だった。
壮大な都が無くなった土地でも人は生きて、歴史に残るか残らないかに関係無く自分の生を全うして人の歴史は今でも続く。
平城京も奈良駅も、何なら姫路城や御幸通りやマンションも、全て人の願いであり叫びでもある。
大事にしたいものだ。
あおによし、奈良の都。
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします♪
(^-^)




