先週の土曜日が休みになり、アートの島「直島」へ出掛けたので家で大人しく過ごす予定を急遽変更し、ドライブを兼ねて岐阜県関市の名もなき池、通称“モネの池”を観に行きました。
いろいろ無料だし、高速代はetcで来月払いだし、ガソリンは頂いていた引っ越し祝いで賄う事にして、現金支出を抑えてとても美しい風景に会える長距離ドライブ。
まるで絵の様な灌漑用の池。
大変綺麗だった。
それと近くの山林公園奥の株杉。
GWの渋滞を抜けて夜の京都を走りつつ、なおなお眠りに落ちつつ、何故眠る間際にぐるたみんのCDと思いつつ、幸福安心委員会の歌詞に触発されつつ物思いに考え事。
どうしてみんなが幸せじゃないのか?
幸せとは何かを愛せている事だと僕は定義するから、幸せじゃないのは愛せていないから。
どうして愛せていないのか?
其々に求めるものが違うからで、ある人の望む幸せが別の人には幸せじゃないから。
お互いに望むことをお互いに望めたらとても幸せ。
どうして望めないのか?
その理由を持たないから。
自分を変えようとせずに相手を変えようとしかしないからとか。
求める価値を感じないとか。
だから望む理由が無い。
無理矢理理由を持たせる事は出来ないし。
どちらかと言うと望まない事に理由が有るのではなくて、みんなとかを望む方が理由を持つ。
みんなが幸せである事に憧れるとか、そうでない不安とか、理想とか、願望とか、いろいろ。
みんなが幸せにはなれるのか否かは余り興味が湧かない、どっちだろうと頑張りたいなら頑張れば良いし、幸せにならなければならない訳でも無いし。
「子供の頃のように、世界の平和を願ってもいい」イベントか何かで自作のそんな歌を歌っていた京都のメイドさんがいて、そういうの僕は好きだ。
という他愛ない話し。
そして今日。
パーティーハズカムのサビでキュアキュアというかけ声(コール?)が有って、その前のがフィノフィノとしか聞こえないんだけど、フィノって何?そもそもほんとにフィノって言ってる?フレフレとかじゃなくフィノフィノとしか聞こえないしフィノでも良いよね。
という他愛ない日々♪
(^_^)



