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〇忠犬ハチ公の日
忠犬ハチ公銅像像維持会などによって、4月8日が「忠犬ハチ公の日」に制定されており、
1936年より例年、銅像の前で慰霊祭が行われている。
ハチ公の命日は1935年の3月8日だが、桜の開花の季節に合わせて
一か月遅らせたものである。
忠犬ハチ公は、日本の忠犬。大正末期から昭和初期にかけて、
東京市の渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、
飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けて
飼い主の帰りを待ったという逸話で知られる。
ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町大向(現:東京都渋谷区松濤一丁目)
に住んでいた、
東京帝国大学の教授である上野英三郎であった。
彼は大変な愛犬家であり、出かける時には渋谷駅までハチを伴うことも多かった。
ハチは「ジョン」と「エス」という二頭の犬たちと共に飼われた。
このうちポインター犬のジョンは、特にハチの面倒見が良かった。
ハチを飼い始めて1年余りが経った1925年(大正14年)5月21日、
主人・上野は農学部教授会会議の後に脳溢血で倒れ、急死してしまう。
ハチは、この後3日間は何も食べなかった。
同25日には故主・上野の通夜が行われたが、
その日もハチは、ジョンとエスと一緒に上野を渋谷駅まで迎えに行っていたという。
ハチは白い犬だったが、毎日渋谷駅に来ていたため汚れてしまい、
さらに当時は犬は「安産の象徴」とされており、
身に付けていた胴輪を心ない人から「安産のお守り」としてよく盗まれていたため、
野犬と間違われ何度も野犬狩りで捕まった。
ハチは逃げるのが遅かったため、簡単に捕まっていたという。
渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、
通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、
子供のいたずらの対象となったりしていた。
一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた
日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉は1932年(昭和7年)、
渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を新聞に寄稿した。
これは『東京朝日新聞』に「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、
その内容は人々の心を打った。
ハチについては翌1933年(昭和8年)にも新聞報道され、
さらに広く知られるようになり、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれ、
かわいがられるようになる。
上野が死去してから10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、
ハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、
滝沢酒店北側路地の入口(現在の渋谷ストリーム駐車場入り口付近)で
死んでいるのを発見された。
死亡時刻は同日の午前2時とされている。
満11歳没。ここは渋谷駅の反対側で、普段はハチが行かない場所であった。
ハチの死後、渋谷駅では12日にハチの告別式が行われ、
上野の妻・八重や、富ヶ谷の小林夫妻、駅や町内の人々など多数参列した。
また、渋谷・宮益坂にあった妙祐寺の僧侶など16人による読経が行われ、
花環25、生花200、手紙や電報、更には180,200円を超える香典など、
人間さながらの葬儀が執り行われたという。