大ヒット中のアニメ映画『君の名は。』を観た。どんなもんだろう、くらいの気持ちで観たのだが、とてつもなく素晴らしかった。ちなみに私は今ポケモンGOに激ハマり中なのだが、これも先月スマホが壊れ、買い換えた機会に「どんなもんだろう」と始めたものだ。先行するガチ勢には遠く及ばないが頑張りたい。『君の名は。』は「運命の赤い糸」で結ばれたかのような男女が「運命的な破局」をねじ曲げ変革する物語である。少し前、NHK のモーガン・フリーマンの番組で「運命はあるか、ないか」というのがやっていたが、何か物理学の先端では過去と未来は決定しているが、過程は決まっていないとか、云々言っていて非常に興味深かったがよくわからなかった。パラレルワールドとか平行世界とか過去とか未来とか『ドラゴンボール』や『まどマギ』など数多の作品でお馴染みだがなかなか面白いテーマである。『ジョジョ』のスタンドで良く出てくる「時を止める能力」やタイムマシンものの「タイムパラドックス」などそうだろう。それはドラえもんの映画『ぼく桃太郎の何なのさ』にも登場するテーマである。テーマというか物語の核である。物語の核をテーマというのか。まあいい。『君の名は。』では、この「時」というもの「時の流れ」というもの「時間」というものが「糸」や「紐」、「組紐」と表される。その「絡み合い」「もつれ合い」「ねじれ」「遡り」が語られる。それと「黄昏時」「かたわれ時」「誰そ彼時」が語られる。これには知的好奇心と破格のロマンティックな感情が刺激され堪らない。これはとてつもなく重要な事柄が語られているという実感が沸き起こる。君と僕が交錯し溶け合い、複数の運命がもつれ合い逆行する。ちなみにSFで「タイムマシン物」が現れるのはアインシュタインが相対性理論を発表した直後だと『しくじり先生』で観た。「タイムパラドックス」とは例えば殺し屋がタイムマシンで過去へ行き、殺したい人間の両親の仲を裂けば殺したい人間はそもそも生まれないが、その生まれなかった人間がタイムマシンの開発者だったらどうなるのか?というようなことだろうか。このパラドックスの解決法として『ドラゴンボール』では「複数の歴史」「複数の世界」、「パラレルワールド」「平行世界」、「複数の世界線」が採用されているのだろうか。「世界線」という言葉は先日『ナカイの窓』で聞いた言葉だ。何かのアニメで使われている言葉らしい。宇野常寛は『アラビアのロレンス』からのイケメン発言として「運命なんて存在しない」を挙げていたが、「運命」に「意志の力」を持って勇敢に立ち向かう姿は確かに格好いい。「運命」と戦うのか「運命」を受け入れるのか、そもそも「運命」は存在するのか、これは人生の大テーマに思える。しかし「すべては運命である」というのは生活の実感から遠いし、あまりに空しいものでもある。しかし「いかんともしがたい現実」に打ちのめされ続けているのも我々の生の実感である。『君の名は。』の「大破局」に私は「東日本大震災」、「広島、長崎の原爆」を連想した。その「悲劇」「事実」「運命」に我々はどう向き合うべきなのか、被害者に対して何が出来るのか、その瞬間そこでは何が起きたのか、その時までそこではどのような生が営まれていたのか。それは避けれなかったのか、「時は戻らない」のか。「たそがれ時」に人は絡み合いもつれ合い溶け合いどこでもなくどこでもある場所へ回帰する。運命の糸、時の糸も絡み合いもつれ合い回帰する。あの時、あの場所へ何度でも。運命が変わる奇跡の瞬間、運命と運命の闘い、それを僕たちは覚えているのだろうか?