確かに「お笑い冬の時代」とでも言うべきものが存在していたような気がする。私は1971年生まれだが漫才ブームの記憶はある。それほど熱心なファンというわけではなかったが、世間の風というものは感じるものである。漫才ブームの頃はドリフが好きで、その後たけしファンになりひょうきん族を観るという、少々後追いなのである。しかし「お笑い冬の時代」というようなものが確かにあったような記憶がある。それはひょうきん族や夕焼けニャンニャンがやっていた80年代ではないと思う。ざっくり言って90年代が「お笑い冬の時代」だったのではないか?と思うのである。しかしめちゃイケやボキャ天があったのではないか?という意見もあると思うが私の印象では「冬の花火」である。誰かがモーニング娘。は「アイドル冬の時代に咲いた一輪の向日葵」と言ったが、そんな印象である。森高千里や浜崎あゆみや安室奈美恵も「アイドル冬の時代」の変種的アイドルという見方もできるだろう。モーニング娘。も私から見ると80年代の「ザ・アイドル」からすると「アーティスト的」な「雑じり気」を感じるものである。「純粋アイドル」という観点からすればである。ただし「アーティスト性」はかならずしもマイナスではないしモーニング娘。の楽曲やパフォーマンスは素晴らしいと思うし、モーニング娘。を純粋なアイドルとして観ていた、観ている人も大勢いるようだ。具体的にはさっしーやゆきりんの存在だが、正直当時はモーニング娘。を「純粋なアイドル」とは認識していなかった。当時の風潮として「アイドル」は「かっこわるい」「流行らない」という世間の認識がありレコード会社や事務所も「アーティスト的」に売り出す。売り出さざるを得ないという事情があったのかもしれない。80年代後半から90年代初頭のバンドブームとバブル崩壊が何かを大きく変えたのであろうか。その「アイドル冬の時代」、アイドルは「アーティストの仮面」を被っていたと言えるかもしれないしアーティストへの転向を余儀なくされていたと言えるかもしれない。その流れは「パフューム」あたりでも残っていたのではないか。パフュームのブレイクは2008年だと思うが、本人たちの意識や受容のされかたはともかく「売り方」というかは「アーティスト的」な要素を多分に含んでいるだろう。しかしここまで考えてきてじゃあ山口百恵はどうなるのか、ピンクレディーやキャンディーズはどうなるのか、松田聖子はどうなるのか、という話にもなる。勿論彼女らの楽曲のクオリティの高さは否定できない。音楽的なレベルの高さとアイドル性は矛盾しない。しかし「アイドル冬の時代」は「アイドル性の隠蔽」の時代、アイドル不毛の時代は確かにあった記憶は確かにある。そして「人物」のアイドル性の他に「楽曲のアイドル性」というものもあるだろう。これは曲の「アイドルっぽさ」のことである。つまり楽曲にしろキャラクターにしろ「アイドルっぽさ」が大衆に嫌悪されていたような、拒絶されていたような時代が確かにあり、「芸能界」もそれに合わせて「アイドル臭」を消したり「アーティスト臭」を加えたりしていたのではないだろうか。私の目から見てはっきりと潮目が変わり始めたのは2010年代になってからである(アイドルの話)。言うまでもなくAKBやももクロの大ブレイクである。彼女たちはキャラクターも楽曲もアイドル全開である。時代の変化とは誠に不思議である。お笑いはどうか。お笑いブームと言われて久しく、ずっと昔からお笑いブームは続いていたように思えるがそんなことはない。勿論たけしもさんまもタモリもずっといたし、とんねるずもダウンタウンもウンナンもナイナイもいた。しかし寂しい、寒い時代は確かにあったように思う。先程も言ったと思うがざっくり言って90年代である。あくまでも私の印象だが、新しい「芽」、ブームの「芽」が出始めたのは2000年代初頭からの中川家やはねトびメンバーからではなかろうか。ドランクドラゴン、インパルス、ロバートなどである。彼らが停滞する時代を切り裂いた。ぶち破った。ついに出てきたという印象がある。その後の「お笑いブーム」ぶりは書き切れない。「アイドル冬の時代」「お笑い冬の時代」が遠い昔確かにあった気がする。しかし冬の時代アイドルも芸人も密かに牙を研いでいたのであろう。今も何かの冬の時代であり、どこかで誰かが見えない牙を研ぎ澄ましているのかもしれない。その牙がいつか時代を切り裂くのかもしれない。季節は止まっていないのだ。