これは秋元康さんの言葉で、前田敦子のAKB48卒業直後くらいのものと思われる。当時は何となく聞き流していたが、良く考えると奇妙な言葉であり、いろいろと考えさせられる。まず「未来」とはAKBの歌詞にもあるように「神様にもわからない」ものであろう。暗いのか明るいのか、どうなるのか、まるでわからない。その意味では五木ひろしの未来も枡田絵理奈の未来も同じである。しかし「推測」や本人の願いが未来に与える影響というのもある。例えば猫は犬にはなれないだろうとか、春の次は夏だろう。などである。しかしこれも断言は出来ない。絶対ではない。未来はわからないのだ。すると「AKB48とは前田敦子の未来のことである。」とはどういうことか。「AKB48とは「わからないもの」である。」と言っているのであろうか。しかしそれならなぜ「前田敦子」という名前を出したのだろうか。前田敦子の未来。ざっくり言って、前田敦子は「女優になる夢を叶えるため」AKB48を卒業したと言っていいだろう。すると前田敦子の未来は前田敦子の希望からすると「女優」ということになる。すると「AKB48とは「女優」のことである。」ということであろうか。しかし「未来は神様も知らない」のである。つまり秋元康にも我々にもわからないのである。つまり前田敦子が女優になれるかなれないかは誰にもわからないのである。となるとあらためて「AKB48とは前田敦子の未来のことである。」とはどういうことなのであろうか。少し文をいじってみよう。「AKB48とは前田敦子の過去のことである。」これはわかる。前田敦子はAKB48を卒業したのだから。「AKB48とは前田敦子の今のことである。」これもわかるはわかるが、AKB48が卒業したメンバーの今とイコールである。という意味では良くわからない。何度も言うが「AKB48とは前田敦子の未来のことである。」とはどういう意味なのか。前田敦子は願う。女優になりたいと。しかし未来はわからない。前田敦子はかつて願った。AKB48になりたいと。そしてその夢は叶った。そしてAKB48を卒業して「新しい夢を見る」。その夢のそのまた先に「AKB48」があるとしたら?前田敦子の未来に「新しい夢の対象」としてAKB48があるとしたら?秋元康が言いたかったのはこれじゃないか。前田敦子の夢のそのまた先にある「AKB48」。それこそが秋元康自身の夢でもあるAKB48の姿なのではあるまいか。