去る11月4日文学フリマがありました。我々は『メルキド出版』としてサークル参加致しました。わたしはかねてより注目していた広島の怪物インテリ芸術家のブースへ行き新刊を購入、交流にも成功致しました。お隣さんは可愛らしい女性がお一人で参加されており、本も一冊購入致しました。その女性は絵も描かれており、タコシェへ納品する際新宿に寄ったので『眼科画廊』へ寄りその女性の作品展を拝見致しました。まだ若く少女の面影を残すその女性、こじんまりとした可愛らしい展示を想像しておりましたがとても大規模で本格的でありました。その創作力には驚かされました。ガチのクリエイター、芸術家でございました。並々ならぬその創作力。巨大でございます。小柄な可愛らしい少女のような女性なのでございますが…。何か恐るべき背景がその人生に隠されているのかもしれません。それは知る由もございません。人は結構第一印象で人を判断してしまうものかも知れません。「大体こういう人だろう」と。しかし少し深く知るだけでも「なんてこった」とか「こんな筈では…」というのもよくあるのかもしれません。芸能人などはイメージが適度に巧妙にコントロールされていつて、がっかりや落胆にはつながりにくいシステムになっているようですがリアルは違います。別にわたしは隣のブースの可愛らしい女の子の実像に少しだけ接近して失望したと言いたいのではなく、何か目から鱗が落ちるような驚きを少し感じたということです。可愛らしい少女が本格的な芸術家の巨大な創造性を発揮しているということにでしょうか…。これはどういうことでしょうか。その少女の面影を残した可憐な女性とその巨大な作品世界とのギャップなのでしょうか。その女性が見るからにエキセントリックな風変わりな何か奇妙な雰囲気、風体だったら驚かなかったかもしれない。しかしふつうっぽい平凡な印象とも言えるそのうら若き乙女の所業…。なにかしらわたくしはまさに一種の色眼鏡、偏見で女性を眺めていたのでありましょうか。つまりその女性が鳥居みゆきみたいな感じ、もしくは川上未映子みたいな感じ、もしくは久保ミツロウみたいな感じでしたら「さもありなん」な感じだったかもしれません。しかし事態は倉田真由美や西川史子や岡本夏生がそうであったかのように推移したのでございます。しかしそれは彼女が倉田真由美に西川史子に岡本夏生に似ていたということではありません。しかし何かが似ていたという文脈で使われた人の名ではございませぬか?ごもっともでございます。なにかしら似ていた、ということでございましょうか…。それは前者三名に比べてみたところなにか庶民的というか普通というか平凡というかなにか圧倒的に超越的な表現をするようには見えないというか、巨大な欠如や巨大な不満や巨大な怒りや狂気を抱えた不安定な不完全な不満足な人格といいましょうか、多方向へ暴走する欲動に常時悩まされている空虚な狂暴な獰猛な自我、といいましょうか、そのようなものはあまり感じられませんでした。落ちついた物静かな精神的にも極めて健康な健全な安定した人に見えたのです。しかしそのような人があのような生産力を発揮できるでしょうか。わたしには見えなかった空虚が狂気が欠如が葛藤が悩みが苦しみが傷が彼女にはあるのでしょうか。それが巧みに隠されているのか、そのように見えないキャラクターなのか、はたまた狂気とかではない論理から生まれ出る作品群なのか。そうかもしれない。現在の若い女性にとって狂気や異常性はきゃりーぱみゅぱみゅ的にポップなものかもしれない。しかし彼女の存在と作品は何か孤立したものも感じる。別に時代に乗ったものではない。一人でただ好きなものを作っているのだ。しかしあの娘がそんなに旺盛な創作力を持っているというのはやはり驚かされる。なぜ驚いているのか…。また思考は巡るのである…。


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