多分14年前、本が出た頃に買ったと思う。それから14年、やっと半分読んだ。柄谷行人やドゥルーズをスラスラ読むようなスーパー頭脳の持ち主へではなく、「哲学とか思想とか何かとっつきにくいなあ」という人に向けて私なりに解説というか紹介してみたい。そんな人々にはきっととっつきにくいだろう。私もとっつきにくかった。難儀して読み進んでいる。しかしなかなか興味深い。どこから話始めようか。例えばミスチルの歌詞に「自分らしさの檻の中でもがいてるなら僕だってそうなんだ」というのがある。昨日やってたMステ3時間SPできゃりーぱみゅぱみゅの歌った「ファッションモンスター」の歌詞にも「自分の心からも自由になりたい」というようなものがあったと思う。また、GLAYにも「ここではないどこかへ」という歌があったと思う。「この世界」や「この自分」に不自由なものを感じ、嫌気がさし、「別の世界」や「別の自分」への「脱出」を夢見る、というのは広く共有されている感覚ではないだろうか?哲学や思想や芸術でも全てとは言わないが大きなテーマのひとつではあるだろう。おおまかに言ってこの本もそのような試みのひとつであるのであろう。人は不安になる。学校や会社での評価が全てだと思ったらやっていけないと思ったりもするだろう。そんな時「神様が認めてくれていますよ」とか「霊界の階層の中でのあなたの位置はここですよ」というような考え方に救いを求めたり、それで安心する気持ちもわからないではないし一概に否定すべきではなくそれでまるくおさまっているならばそれでいいのかもしれない。しかし「近代」なのか「現代」なのか知らないが、ニーチェが「神は死んだ!」と言った以前なのか以後なのか知らないが、「科学的」「理性的」といったらいいのか「リアリズム」なのか、そのような考え方は「迷信」「非科学的」ということで否定されたり効力を失って来た歴史があるだろう。そして人間は「科学的」に「世界」や「社会」や「人間」や「心」の分析を始める。それは偉大な人類の進歩をもたらしたとも言えるだろう。しかしどうしても「世界」や「人間」「心」は「論理」では割り切れないことが出てくる。するとその「割り切れなさ」や「矛盾」が「消滅したはずの神様の位置」におさまり、再び我々を神秘的に支配、拘束、制限してしまう。そのような状況を「否定神学」というらしい。