「エンターテイメントと芸術」の一致。ありそうな事態である。人の評価など全く気にせず、やりたいことを思いっ切りやった結果、大衆の大きな支持を得る、ということ。反対に、計算に計算を積み重ね、当てよう当てようヒットさせようヒットさせようとして大失敗する。これもありそうなことだ。そう考えてみるとどちらも人間的な自然な行為であり別に非難すべきものでもない気がする。「エンターテイメントと芸術」。この問題。母親が子供に絵本を読み聴かせる。その時の母親の子供への「伝えようとする想い」に邪心は無いだろう。「伝達の意志」全てが不純な訳ではない。自分の世界にどっぷりつかった表現が、妙に予定調和的、自己保身的で「刺激」、「過激さ」に欠ける場合もありそうだ。「エンターテイメントと芸術」とは一体何を指し示しているのか?。「社会から孤絶した精神が自分の魂に向き合い何かを掴み出す」という「芸術」。社会的に通用、流通しやすい「商品」を綿密な計算の結果生み出す「エンターテイメント」。この前テレビで西部すすむが「リミット・サイクル」という数学用語に触れて、「政治」と「文学」の相いれなさについて語っていた。「政治」の言葉で「文学」を語り、「文学」の言葉で「政治」を語ってみることを提案していた。「エンターテイメントと芸術」は「政治と文学」とも言い換えられるのかもしれない。社会的政治的経済的な次元と個人的プライベート的「実存」の次元。往々に人はどちらかに偏りどちらかを欠落させがちなのかもしれない。社会的な職人と、個人的な芸術家。芸術家の魂の叫びが新しい政治を生み出し、職人的なテクニックが芸術作品に革命をもたらす。そんな「交流」に可能性があるのかもしれない。