しかしAKB48やラスコーの壁画、ダヴィンチの絵、シェイクスピア、ドラえもん、ドラゴンボールなど「エンターテイメントか芸術か」という問いは無意味にも思える。売れたらエンターテイメント、売れなければ芸術、という定義も奇妙に思える。しかしその「分割」は確かにあるようにも感じる。吉本隆明さんのいう「表現」「表出」の区別は人間にとって人生にとって生命にとってひどく重要なものとして胸に迫り腑に落ちるものがある。私自身の世界観や人生哲学にも深く食い込んでいる問題だ。試しに「エンターテイメントと芸術」を「娯楽とアート」と言い換えてみるか。後者のほうが何かしらの「高級感」があるのだろうか。あるいは何らかの「過激さ」。物の見方を根底的に揺さぶるような種類の「過激さ」である。「日常」や「現実」から離脱させるような「芸術」や「アート」の力。それは何か「ハッさせる」ものである。しかし「娯楽代表」「芸術代表」の作品を挙げるのは難しい気もする。AKB48はビートルズは中島みゆきはブルーハーツは尾崎豊はアートなのか娯楽なのか?しかし芸術やアートに対し、特別の気概、こだわりを持って向き合ったアーティストたちも多いと思う。例えばゴッホや岡本太郎やつげ義春など。あまり売れる事とかマーケティング的なものに固執していたとも思えない。勿論売れたり評価されれば嬉しいと思うが。しかし「大衆に広く受け入れられること」や「誰か他人を喜ばせること」「社会的評価を得ること」を創作の基準にしていたようには思えない。何か全く別なものと向き合い、闘い、乗り越え、達成しようとしていた。そしてとても大きな達成感や充実感や満足感や幸福感を感じていたのだろう。それは「売るために売れるものを作り売れたら成功」というものとは違う。「エンターテイメントと芸術」そのそれぞれの相手側への批判としては「自己満足」「不純」というものがあるだろう。一方からは社会に開かれておらず自分の世界に閉じこもり陶酔している社会的には「邪魔」で「目障り」で「迷惑」で「役に立たない」「無益」な存在。一方からは時代や社会や流行や大衆に迎合した自分の信念やこだわりや美学や価値観や魂や心や感情や感性を喪失した堕落した下品な意味の無い有害な不愉快で不自由な存在。お互いにそう思いたびたび衝突するのだ。「売れることが価値基準」「自分の心に響くことが価値基準」。それらが両立、一致している場合もあるだろう。