純文学論争というものがあるらしい。純文学が主に載っている「文芸誌」の売り上げが思わしくないのだが、出版社が「文化遺産」みたいな感じで保護していることへの批判とそれへの批判みたいなものらしい。これは大きな問題である。これは様々な局面で昔から闘われる価値観の衝突、「芸術VSエンターテイメント」にも繋がると思われる議論である。それは煎じ詰めれば「一冊も売れないものに価値は無いのか」「一枚も売れないCDに価値は無いのか」「客が一人も入らない映画に価値は無いのか」「一枚も売れない絵に価値は無いのか」というような話であろうか。しかし買わないまでも「なかなかいいじゃない」という感想を誰かが抱くということは有り得るし、たでくうむしもすきずきでなかなか「前人類に嫌われる」というのも至難の技である。日本とアフリカでは美人の基準が全く違うという話も聞いたことがある。まあ取り合えず「純文学論争」に話を戻すと例えばある作家の作品が全く売れないのだが文学の専門家や権威からの評価は非常に高く、いくつもの賞を獲っている、ということはありそうなことだ。また一般的な知名度は全く無いが一部の熱烈なファンに支えられて活動している、というのもありそうなことだ。また、一般的人気も一部の熱烈なファンも居なく完全な赤字なのだが本人の趣味、あるいは執念、情熱で活動している人も沢山いるだろう。そんな人々や作品を全否定はできまい。ただそこで作者の創作上のスタンスを問うという上での考え方の違いというのはありそうだ。おおざっぱに言って「人のために作るか」と「自分のために作るか」。「売るために作るか」「作りたいものを作るか」。というようなものだ。「エンターテイメントと芸術の対立」である。確かに現代の表現作品においては芸術とエンターテイメントいうジャンル分けは無効かもしれない。しかし私にはそこに今現在も深い対立を見る。まあそれは一旦置いておいて、「売れないもの」への「援助」や「保護」の問題もあるだろう。例えば貧乏芸術家を国が援助すべきか?というような。ビートたけしはテレビで「売れない芸人も俳優も芸術家もバイトでも何でもして活動すべき」と言っていた。これは例の生活保護問題の時に言っていた。「夢を好きで追っているわけであって、働けないわけじゃないから」というような話だったと思う。