哲学用語なのだろうか。哲学方面は以前からずっと興味があり入門書的なものをチラチラ読んできた感じではあるが。数年前新宿に中沢新一目当てで行った時中沢さんが「ルソーとレヴィ=ストロースは直接性を信じていたと思う」と言っていた。「直接性」というと思考などの「媒介」を剥ぎ取った物質のむきだしの姿というかサルトルの『嘔吐』における「マロニエの根」というか理性や知性や思考を消失した人間の直接的経験というか一種の「現実」というか「唯物論」的な何かというかそんなイメージだった。しかし「媒介」を強調するというか肯定するというか救い出すというかそんな思考もあるようだ。それは「直接性」が実体化、つまり観念化されあたかも「神」のように「神格化」され触れるべき「現実」を見失ってしまうような事態への批判としてあるのだろうか。「媒介」、つまり「言語」や「記号」や「思考」や「知性」や「理性」。結局人間は「そういうもの」であり「言語的体系」の中で生きている。「神」や「信仰」、「感情」「熱狂」「感覚」「直観」「直接性」なるものは本来ありえない「錯覚」であり「妄想」である。と。すると「神」は「真の神」はどこにいるのか。どこに宿るのか。「経験」は「現実」はどこにあるのか。「言語」を「媒介」の働きを繊細に精密に観察することにより見出されるのではないか。それがデリダの「エクリチュール」というものかもしれない。それは「媒介」の「直接性」、「言語の物質性」とでもいうものだ。「直接性」にしろ「媒介」の「直接性」にしろ「直接性」を求めている。それは命の実感、信仰、熱狂、感情、現実といったもので我々が日常的に感じていながら見失いがち忘れがちな奇妙なものかもしれない。それはニーチェのディオニソス、巨大な多様体、カントの物自体、ハイデガーの存在、フロイトの無意識、マルクスの唯物論、商品の使用価値というようなものであろうか。「言語の物質性」「言語の肉体性」「言語の直接性」といったものに真の「直接性」に迫る新たな切り口があるのかもしれない。