昨日Eテレの番組に中沢新一さんが出ていたので観た。南方熊楠と田中正造についての番組だった。その中に「南方マンダラ」というものが出てきた。昔『知ってるつもり』で観た時は「宇宙の縁」みたいなものを表していると説明されていたと記憶している。脳の絵のようなものの上に出鱈目な線が引かれていていくつかの記号が書かれているようだ。中沢新一さんは「自然の精妙さ」を表していると言っていたか。西洋の科学では自然は克服、管理、支配の対象と見ていた。合理主義によって。しかし日本は自然と人間が対等であると、大きな自然の中、人の立ち入ってはならない精妙な森の中にいる生命のひとつと考えていた。熊楠の言葉で自然の一面を取り出し感じ、それを自らの喜びとする。というようなものがあった。もう一度ビデオで見てみたい。それとポロックの絵である。先日ポロック展へ行ってきた。ポロックは自分の絵を「カオス」と言われて怒ったという。ポロックは自身の絵を完全に意識でコントロールして描いている。とも言っていたようだ。その反面、意識の支配を脱し、無作為に描く。というようなことも言っているようだ。これは矛盾しているのだろうか。人間の中にはいくつもの「意識」があるようにも思う。それは層のようになっているかもしれないし、顕在意識と潜在意識とか無意識とか、知性や理性や思考と本能や感情や感覚と言い表されたり脳と心、と言われたりするかもしれない。そしてそのそれぞれが考えたり判断したり選択したりするのだ。つまりポロックは「ある精神状態」に忠実にコントロールしてその絵を描いたと言えるだろう。それは「意識」と「変性意識」の違いとも言えるだろう。「秩序」と「無秩序」という対比がある。脳と心、思考と直感、意識と無意識、どちらが秩序でどちらが無秩序なのだろうか。どちらが「カオス」なのだろうか。「カオス」というと一般に良いイメージは無いかもしれない。しかしそこに「自由」や「熱狂」など「よい」イメージを読み取る人もいるだろう。私は子供の頃ウルトラマンより怪獣が、仮面ライダーより怪人が好きだった。怪獣でもバキューモンやバルンガなど「カオス的」な怪獣に妙に魅力を感じたりもしたものである。「神」は秩序なのか無秩序なのか。「知性」は秩序なのか無秩序なのか。ニーチェは「私は踊る神を信じる」と言った。「森」は秩序なのか無秩序なのか。「ポロックの絵」は秩序なのか無秩序なのか。「ある種の精妙さ」があるのだろう。