去年だったか今年だったか文学フリマで買った押井守の学芸大学での講演会を収録したミニコミを読んだ。「相対性」というものを語っていた。優秀だとかモテるだとかいうのも相対的なものであって絶対的なものではない。関係によって変わるものだ。時代や社会が変われば変わるもの。絶対的にこれが良いとかこれが正しいというものは無いという話。だから過剰に落ち込んだり過剰に有頂天になるなということか。絶望することは無いということかもしれない。そこで武器になるのは「日本語力」だそうだ。仕事でも何でも交渉したり説得したりするのに必要だそうだ。ただし小説を書くのだけは違うそうだ。それは完全に孤独な自分と向き合う作業。自分が何をやりたいかが見えなければ一行も書けないという。押井さんは自分の中にアート系の自分とエンターテイメント系の自分がいるそうだ。行ったり来たりして勝ちすぎず負けないで業界を生き抜いて来たという。いろいろ考えさせられる本だった。映画『スラムドッグ・ミリオネア』でクイズを勝ち進む少年。その「知力」は絶対的なものではなく少年固有の人生に根差した知識であった。絶対的な力を持つように見える存在も、たまたまその時代に生まれ合わせたとか、たまたまその「課題」に自分の存在形式が適合していたということかもしれない。「結局は十全に生きえたかどうかなんですよ」。中原昌也さんも言っていたように「精一杯生きる」ということだろう。