『グラン・トリノ』を観た。イーストウッドの。何年か前に『ミリオンダラー・ベイビー』を観たけど。どちらも凄い。人生の苦みがズバリと描かれているところが似ているのかな。家族の断絶みたいなのとか。ゆえに真の友情とか絆が引き立つ感じなのかな。こまごまとしたエヒソードが無駄なく効果的に積み上げられ物語を引き立てる。こういうことってあるよな、とかそうだよなとかいちいち納得させられる。私の作る作品がどこか現実逃避的で空想的なものの連鎖ともいえるような特徴を持つのと違いこういうのをリアリズムというのかな。しかし重厚な、とか仰々しい、とか計算された、といった印象は受けない。何か冷徹な客観的な研ぎ澄まされた現実を見詰める眼差しだ。北野武の映画を思わせるものがあるかもしれない。例えば私の作品には「人生の苦み」は出てこない。夢や理想や快楽を徹底的に突き詰めた純度の高い麻薬のような作品を目指しているのかもしれない。だから自分の嫌いなものは登場しないのである。しかし現実は違う。いかんともしがたい、ままならない、どうしようもない事にみちあふれている。それに寄り添いきっちりと描きその上で感動的な美しい物語に仕上げている。トラウマや人生の苦みや社会の矛盾など。私の作品には出てこない。私の作品にはストーリーが無いのである。むしろストーリーを最大最悪の敵と見做し反対方向へどれだけ跳べるかを競っているような代物なのである。それはそれでいいだろう。「普通の映画」という観念では理解されにくいかもしれないが、絵画や美術や音楽や文学の辿った歴史などから考えるとそういうのもありだとはおもう。しかし21世紀の現在何が「最先端」なのかは知らないが。しかしそれは好みの問題かもしれない。自分が最高だと思うものを追求して行くしかない。別にストーリーのあるものすべてが嫌いなわけでもない。論理や理性も大切だと思う。そして「無意味」や「不条理」への到達にも「思考」を使用している。しかし到達したその場所は「非思考」的である。この「理性」と「非理性」、「合理」と「非合理」は私の中でも大きな問題であり続けている。それは哲学史的にはデカルトとパスカルとか、ニーチェではアポロンとディオニュソスとか、フロイトなら意識と無意識とかになるのであろうか。アンフォルメルを見出だした美術批評家タピエは我々が受け継ぐべき遺産はニーチェとダダだけだと言ったという。そこからポロックやバロウズに至る線。