アンフォルメル展の後渋谷へ行き渋谷ヒューマントラストシネマで『ミスター・ノーバディ』を観た。同じ監督の『トトザヒーロー』を15年ぐらい前にビデオで観たことがある。おもしろかった記憶がある。『ミスター・ノーバディ』は人生の選択の物語だ。9歳の時の大きな人生の別れ道を回想する118歳の老人。老人の記憶はひとつの実人生ばかりではなく「もしあのときああしていたら」という想像と入り交じる。もはや何が真実かわからず無数のそうだったかもしれない人生が実際の人生と並置されもはや見分けがつかない。老人本人にも別の誰かにも判定不可能である。そしてそれらの人生はどれが幸せでどれが不幸とも言えない。それぞれの人生がそれぞれのかけがえのない輝きを放っている。成功も失敗もない人生の選択とそのエンディング。老人の膨大な記憶は想像力で自由に無数に組み換えられそのすべてが肯定されているようだ。そして現在の老人である私も今ここにあるこの世界も少年時代の夢であるかのようにも語られる。現在がどこなのか現実がどれなのかまったくわからない。しかし人間の持つ人生の持つ「奇妙な自由」のようなものを確かに感じる。「あの時ああしておけばよかった」とか「ああしていたら今頃どうだったのか」そのような後悔や希望や妄想や予想にみちあふれているこの人生。そのような思いの世界も現実との区別なく実在しているのかもしれない。そう感じられるような人生のポイントがあるのかもしれない。この前『ターミネーター2』がテレビでやっていた。公開時など断片的にコマーシャルなどで観ており何となく観た気になっていたが初めて観た。その中で「運命は変えられる」というようなメッセージがあった。勇気を持って現実に切り込んで行けば運命は変えることができる。人生に希望が持てる言葉である。自分がひとつの道、ひとつの人生に閉じ込められているような息苦しさの打開策。『ターミネーター2』のような「悲惨な未来」を避けるための「運命を変える」選択、行動。『ミスター・ノーバディ』はすべてが終わった後でもすべてが始まる前でも「運命を変える」ことは可能であり無数の人生の現実はすでに存在しておりそのすべては素晴らしく、かつまだ何も決まっておらずすべてが終わった後でも何ひとつ決まっておらず人間は自由と偶然性の中にひとりでかつみんな一緒に放り出され風に吹かれる木の葉のように永遠に未決定の世界を漂っているのかもしれない。