小林秀雄だったか、美しい花はあるが花の美しさは無い、と言ったという。ビートたけしが今度の震災を二万人が死んだひとつの事件ではなく一人が死んだ事件が二万ある、と捉えるべきだと言ったという。ボールは友達、だといいけど友達はボール、だと寂しい、とツイッターで見た。キャバ嬢が女子大生だといいイメージだけど女子大生がキャバ嬢だと悪いイメージ、とツイッターで見た。ボールは友達と友達はボールだとボールは友達だと友達のひとつとしてボールがある印象。友達はボールだと友達のすべてがボールの印象。キャバ嬢が女子大生だと向上心がある感じ。女子大生がキャバ嬢だと堕落した感じ。美しい花は目の前にあるひとつの花。そのひとつの花に美しさを感じ感動している。花の美しさはいくつもの花、無数の花、「花」という概念。ありとあらゆる花に共通する、花である限りすべてが持つような、持ってしかるべきなような美しさ。可愛い子供と子供の可愛さ。とか。それは花は無い。ひとつの花はある。と変奏されもしようか。二万人の命。二万人の生。二万人の死。それはひとつの共通の事件によりもたらされたように見える。しかしそこには一人一人の人がいた。ひとつの命ひとつの生ひとつの死があった。ひとつの死。ひとつの事件。それが二万件あった。一人が死んだ一つの事件が二万あった。「二万人が死んだ、二万人が死んだ」と言っていては触れられない「真実」がそこに現れている。忘れてしまいがちな真実である。