始めの20分ぐらいを見逃したけど。荒俣宏さんが案内人で梅棹忠夫さんという文明学者の人の特集だった。人間は知的生命体であり、科学技術の追求は人間の業である。すべての知識、技術が消失しても再び人間は同じことを繰り返す。しかしその合理的、理性的、経済的追求、文明の進歩はやがて人類の土台を掘り崩してしまう。40年前に核のゴミ問題に言及していたそうだ。そんな梅棹さんは「理性ー英知」という対立の構図を提出する。理性的なものの飽くなき探求は人類の業。心が痺れる脳が痺れる知的快感。しかしそれは人類を暗黒の未来へと連れていく。では光明とは何か。それが英知だという。理性の業、危険性を自覚しコントロールすること。解説者はそれを左脳と右脳というふうに対応させていた。左脳的なものが理性。論理。科学。経済原理。組織の論理。右脳的なものが英知。心や情念やひらめき。その両者が現代では分断されてしまっている。その二つを結び付けた生き方が我々に求められているのではないかと。宗教学者はキリスト教と仏教に対応させていた。キリスト教の根はノアの箱舟の生き残りの物語と犠牲者の物語。仏教は法華経の三車火宅の物語。それはみんなが助かる物語。日本人の根にはそれがあるのではないかと。経済原理。勝ち組、負け組。競争。そういう社会ではなく「みんなが助かる社会」。番組は梅棹さんの「アマチュア思想道」「アマチュア思想家宣言」で閉じられる。「思想」が「プロ」に独占されているのはおかしい。我々みんなが自由に「思想」を使うべきではないか、と。アマチュアだから損得とか食える食えない金になるならないという経済原理から離れて思考、行動できる。楽しいかどうか、幸福かどうか、未来も幸福かどうかというふうに幸福にこだわれる。プロはそんな「甘い」ことはいってられない。「食っていけない」から。しかしその「原理」の帰結が暗黒であるならば。その帰結が必然であるならば。光明を、英知を見出だすのは我々、アマチュアの目、アマチュアの幸福論、アマチュアの世界観、価値観なのではないか。理性に合理性に経済原理に生き残りの物語に従属しない価値観。それはかつての学生運動に見出だされるものかもしれない。学生だからできる。学生だからわかる。学生だから見える理想の世界像。「大人」には「社会人」には見えないあるいは見るわけにはいかない熱い理想、輝く世界。アマチュアにしか出来ないアマチュアにしか見えないものがある。その光。