高橋由美子が「最後のアイドル」と呼ばれていたのはいつだったか。あれは自称だったのだろうか。自称というか宣伝文句というかキャッチフレーズというか。1988の夏、7月だっただろうか、当時人気絶頂のアイドル南野陽子の「サマーコンサート」に行った。名古屋の金山だった。その時私は17歳になったばかりぐらいであったろうか。会場前に入場のためにファンが並ぶ。私の前の客が「アイドル四天王」について話していた。南野陽子、中山美穂、工藤静香、浅香唯だったか。その時階段を上がった高みの所に親衛隊だろうか、熱狂的なファンの青年が並ぶファン達に叫んだ。「お前ら今だけだろーーーー!!!!」と。私は心の中で「そうかもしれない」とか冷静に思っていただろうか。「あなたには敵わない」と思ったかもしれない。当時非常に好きであったが。ファンレターも一度出した。工藤夕貴→斉藤由貴→河合その子→相楽ハル子→南野陽子、という流れで好きになった。斉藤由貴→河合その子、のところは『三枝の美女対談』の出演順だった。工藤夕貴と私は同い年である。おはようスタジオ(現在のおはスタの先祖)という早朝番組の司会をしている、というので観た。そこで斉藤由貴が『卒業』を歌ったのだ。相楽ハル子がラジオ番組にゲストで出るという。そのラジオ番組を聴いた。それが『ナンノこれしき!』だったのである。「アイドル冬の時代」とはいつのことだったのだろうか。確かにそんな時代はあった。ccガールズは活躍していたのだろうか。CoCoは活躍していたのだろうか。1990199119921993ぐらいだろうか。歌番組が姿を消し、清純派アイドルが一気にマイナーなものになったのはこのころであったのであろうか。しかし森高千里がいた。私も宅八郎の影響か、ファンになった。宅八郎を知ったのは北野誠のラジオ。「サイキック青年団」か。当時清田益章の「サイキックアドベンチャー」というのもあって混乱する。SPA!の連載で中森明夫を絶賛し宅八郎をけなしていた。しかし私は興味を持った。「イカす!おたく天国」に。森高千里はミーハーやストレスや17才の頃は特に興味は無かった。17才のパンチラパフォーマンスも意外と冷静に見ていた。スーパージョッキーで歌ったのを覚えている。ミュージックステーションで「だいて」を歌ったのも覚えている。その時だっただろうか。歌い終わったあとの笑顔がかわいいと思った。どこかその笑顔が南野陽子に似ていると思った。