3時からあるというので中野ブロードウェイに向かいました。昨日。中野ブロードウェイも久しぶりであった。タコシェでサイン会の整理券入りの本を買うと(売り切れていなくてよかった!)時間があるのでまんだらけで『リアル』の第一巻を初めて読む。『リアル』と言えば昔テレビの企画で『リアル』を読んだえびすよしかずさんが「本物のワルはこんなもんじゃない」と感想を言っていたこと、コンビニで立ち読みして病室のベッドに寝ている若い男が陶芸をやっている父と再会し「底辺じゃねえかよ」と思うシーンを見た印象などがあったのだがまず「真のワルを描こうといたマンガではない」ということで主役はかわいげのある不良というか顔は怖いけど不良っぽいぐらいのあんちゃんというか…確かに敵役は「悪」だと思ったけど…確かにもっとどぎつく「悪」を描くこともできたと思うけどあんまりどぎつい悪も読みたくないというか読むのもしんどいというか。まさに我々の「リアル」として感じられるぐらいの善や悪の範囲内での悲喜こもごも成長のドラマというか…だから別にそんな「真の悪」も「真の善」も登場しない、そんなに極端なキャラクターも登場しない、でもああこんな最低の奴よくいるよなあ、とか、いるいるこんな馬鹿、とか、いそうだなあ、という範囲内で稀有なドラマを見せるというか。確かに余りにも酷い悪の描写、という表現の道もあると思うけど娯楽としてさらっと読める、というと語弊があるけど多くの読者のためにはあのぐらいがいいのか。確かに人間の魂の暗部への切り込みというか物語の展開の中で「もっと悲惨な方向」を願望してしまうというのはあるけど、一巻を読んだだけだけど多分作者は最終的に「人間を肯定したい」んだと思う。いろんな奴がいる、いろんな事がある、許せない事、耐えられない事、絶望的な事、でもめぐりめぐって「いい場所」「捨てたもんでもない場所」に到達するというか。悪い奴にも「事情」があるとか「いいところ」があるとか。しかしえびすさんがいうように「底無しの悪」とか「救いようのない悪」とどう向き合うか、どう付き合うか、というほうが現代的なテーマかもしれない。しかし「青春物」の物語ならこれでいいような気もするが。しかしえびすさんからすれば何か食い足りない感じがしたのかもしれない。しかし『リアル』という漫画世界であまりにどぎつい暴力シーンは見たくない気がする。基本明るく楽しい元気のでる漫画、ということでもいいのでは。