なぜ毎年毎年賞に応募するのか。書けなかった時期は送ろうにも送れなかったが。自信があるのだろうか。それなりの納得や愛着はあるが。やはり賞をとりたいから応募しているのであろう。とりたくないなら送らなければ良い。「プロ」になりたいのだろうか。確かにお金は欲しい。収入がないのは厳しい。認められたいのか。確かに、誰かかも全く評価されず理解されない、というのも厳しい。誰かに褒められたいとか、誰かを見返したいとかいうのもあるだろう。今朝ピアノで世界的な賞を受賞した日本人の女性のニュースがやっていたが、そこで「高みを目指す」という言葉があった。人はそれぞれの場所で高みを目指すのかもしれない。それに疲れてやめるのもひとつの悟りかもしれないが。プロ野球を目指す人がプロテストを受けたり。高校生が甲子園を目指したり。どんな世界にも戦いがある。しかし発表ということなら今ならネットや様々なイベントなどがある。賞を取れば桁違いに注目されるだろうが。しかし「注目」や「売れる」や「評価される」前に「作る」とか「考える」とか「感じる」ということがある。発表したい、認められたい、というのと共に、作りたい、考えたい、感じたい、というのもある。自分なりの何等かの境地に到達したいという思い。それは「評価」や「注目」に優先される「自己実現」といわれる何かのことなのだろうか。そこで実現されるのが「自己」なのか何なのかわからないが何等かの欲望の実現。境地への到達。見える景色の変化。より大きな充実感。達成感。そのようなものを目指しているのであろうか。それが「社会的立場」や「肩書き」や「名刺」であったりもするということか。賞を「上流階級」へのパスポート、「天国」へのパスポート、とでも考えているのであろうか。しかし何らかの扉をノックする行為であるとは言えるだろう。